<span>離島の医療危機は人口減時代の日本の未来図だった――オンライン診療の最前線</span>
山口県萩市沖合約8kmの日本海に浮かぶ大島

特集|医療・ウェルネス

Vol. 1

離島の医療危機は人口減時代の日本の未来図だった――オンライン診療の最前線

2026年10月10日

全国で人口減少と過疎化が進む中、本土と海で隔てられた離島の医療が危機に瀕している。本州で最も多い21の有人離島を抱える山口県はまさにその課題先進地であり、医師の平均年齢も53.3歳と全国で2番目に高い。長年、地域を支えてきた高齢医師のリタイアが相次ぐ一方で若手医師の後継者確保が難しく、医師の偏在や働き方改革の影響も相まって、これまでの医療提供体制を維持することが極めて困難になっている。 こうした状況は決して対岸の火事ではない。「離島医療」が直面している危機的状況こそ日本の「地域医療」の未来図そのものであり、離島においていかに持続可能な医療体制を確立するかが、地方の人口減対策の鍵を握っているのだ。同県はまさにその最先端の「へき地・離島医療」実践の場。山口県立総合医療センターへき地医療支援センター長の原田昌範氏に、オンライン診療やグループ診療を軸とした同県における地域医療体制について聞いた。

原点となった離島勤務での熱烈な歓迎と初めての試練

 山口県の離島ではこの10年で診療所の基準人口である300人を下回る島が続出し、常勤の医師を配置することができず、非常勤の医師が定期的に巡回する「巡回診療」への移行や診療所の縮小を余儀なくされている。医療資源が限られている上、対応するエリアも広く、さらに悪天候時には交通手段が絶たれるという過酷な環境の中、いかにして持続可能な地域医療体制を整備していくか。これは離島のみならず、将来的に同様の課題に直面する日本全国の過疎地域にとっても喫緊の課題だ。

 山口県立総合医療センターへき地医療支援センター長の原田昌範氏は、この課題先進地において、オンライン診療やグループ診療を組み合わせた地域医療体制の整備に尽力している。

 原田氏は小学5年生の時、NHK大河ドラマ『いのち』(1986年放送)を見て医師を志した。青森県を主な舞台として、三田佳子演じる女性医師が激動の時代を生き抜き、使命感に燃えて離島の診療所へと赴任していく姿に衝撃を受けたという。これを機に勉学に励んだ原田氏はその後、自治医科大学を卒業、9年間の義務年限の最終年のタイミングで念願の離島勤務が決まった。

 赴任したのは、当時人口約900人の大島(萩市)。明治時代から親子2代にわたって医師が島民の命を守り続けてきた歴史があり、島にとって「医師の確保」は文字通り死活問題だった。原田氏はそのことを上陸時から実感したそうだ。

「島に着いた日、フェリー乗り場に赤白の横断幕が掲げられ、島民の皆さんが集まって大歓迎してくれたことに驚きました。その様子がテレビで1週間毎日放送されたほどの歓待ぶりで、その裏にある島民からの大きな期待と、命を預かる責任の重さを痛感しましたね」

 大島では医師1人、看護師2人、事務員1人の体制だった。24時間365日、島民の健康と生活を守るために幅広い疾患に対応するのはもちろん、時には救急患者を漁船で本土の病院へ搬送することもあった。2年間の勤務で漁船搬送は25件に上り、月に1回以上のペースで緊急事態に対応していたという。

 赴任して間もない頃に直面した初めての急患は、てんかん重積発作を起こした3歳の子どもだった。母親がけいれんの止まらない我が子を抱きかかえて診療所に駆け込んできたのだ。

「初めての急患で、しかも3歳の小さな子どもです。頭が真っ白になりました。どうしたらいいか分からなくなりそうな中、私を救ってくれたのは看護師さんでした」

 島で経験を積んできた看護師の的確なサポートのおかげで、原田氏は冷静さを取り戻し、無事に子どもの命を救うことができた。

「この時の経験から、医療は医者が1人でやるものではない、看護師さんとの連携、つまりチーム医療が不可欠なのだと強く実感しました。これが、現在の遠隔医療の取り組みにもつながる私の原点です」

 と原田氏は語る。

山口県周南市生まれの原田医師。2000年に自治医科大学を卒業後、県内の病院や診療所で研鑽を積み、08年に萩市の離島である大島診療所の所長に赴任。11年に山口県立総合医療センターへき地医療支援部へ

離島医療を持続可能なものにするための仕組み作り

 大島での2年間を終えた原田氏は、2011年に山口県立総合医療センターへき地医療支援部に着任した。離島での経験から「島の医療体制を持続可能なものにするための仕組みが必要だ」と強く感じていた原田氏は、その仕組み作りと後進の育成に着手する。

 当時、義務年限を終えた若手医師が離島・へき地医療に携わりたいと思っても、臨床経験が不足していることやキャリア形成上の不安、指導医の不在、そして生活環境の大きな変化などいくつものハードルがあって現実的ではなかった。そこで原田氏は山口県の「ドクタープール制度」の第1号として、市中病院である県立総合医療センターに身を置きながら、離島・へき地の支援を継続できる仕組みを構築した。外部の公的医療機関等から資金を得て人員を確保し、専門的なトレーニングを受ける若手医師らがチームで離島・へき地の休日夜間診療などに携われるようにしたのである。

「後輩たちが1人で責任を抱え込んで心身をすり減らす『パニックゾーン』に陥るのではなく、適度な負荷で成長できる『ストレッチゾーン』にいられるよう、サポート体制を整えることが必須だと考えたんです」

 と原田氏は当時の思いを語る。このチーム医療を支える重要なインフラとして、原田氏は早い段階からクラウド型の電子カルテの導入を進めた。当初は離島・へき地の診療所と拠点病院間でリアルタイムに診療情報を共有し、カンファレンスを行うことを目的としていたが、この情報共有の基盤が、後にオンライン診療を導入する際の強力な武器となる。

 

コロナ禍で一気に広がった「D to P with N」によるオンライン診療

 原田氏が遠隔医療の可能性を確信したのは、2017年のことだ。山間部のへき地で一人暮らしをしていた祖母が末期の胆管がんを患った。当時、原田氏は偶然にも週に数日だけその地域を巡回する体制をとっていたが、常勤ではないため頻繁に様子を見に行くことができなかった。

「余命3カ月と宣告された祖母の元に、訪問看護師さんが足繁く通ってくれました。私は常駐していませんでしたが、訪問看護師さんにiPadを操作してもらい、オンラインで祖母の顔を見ながらコミュニケーションをとったんです。結果的に『主治医である孫と、患者である祖母、そして訪問看護師』というチームで最期を支えることができました」

 この体験こそが、原田氏が推進する「D to P with N(Doctor to Patient with Nurse)」につながった。患者のそばに看護師がいる状態で遠隔地の医師がオンライン診療を行う「D to P with N」スタイルは、高齢者が多くスマートフォンの操作が困難な離島・へき地において非常に有効だった。社会的信用があり、患者に直接触れて異変を察知できる看護師が同席することで、安心・安全なオンライン診療が実現する。

 2018年、日本では診療報酬改定で情報通信機器を用いた「オンライン診療」が初めて公的医療保険の対象となったが、当初は規制が多く使い勝手の良いものではなかった。そこで原田氏は「山口県へき地遠隔医療推進協議会」を立ち上げ仲間を募り、厚生労働省の研究班長の機会を得て、米国などの海外の先進事例を視察し知見を深めていった。米国や豪州のへき地では、すでに「D to P with N」の診療や都市部の専門医とオンラインで結ぶ「D to P with D(Doctor)」の診療スタイルが確立されていた。

 そして訪れたコロナ禍。感染拡大を防ぐための規制緩和により、原田氏が温めていたオンライン診療の計画が奇しくも一気に進むことになった。 そもそも県のオンライン診療実証事業はコロナ禍前の2019年から萩市、岩国市、山口市に位置する県内のへき地診療所計4カ所で先行して開始されていたが、2021年に実証規模が拡大、計8カ所の離島・へき地の診療所で看護師が患者のそばに立ち、高画質カメラなどのICT機器を介して遠隔地の医師が診察・サポートを行う実証が行われたのである。

「ある離島では、巡回予定だった医師が朝にコロナに感染して島に行けなくなってしまいました。しかし、普段から実証事業でオンライン診療の訓練を積んでいたため、その医師は隔離先のホテルから、島の看護師とつないで予定通り患者を診察できたのです」

 オンライン診療は単にビデオ通話をつなぐだけではなく、電子カルテのクラウドでの共有や多職種との連携、医師が機材を使い慣れていることなど、様々な要件が揃って初めて正常に機能する。こうした実績が認められたこともあり、診療報酬改定において離島・へき地で患者の側に看護師がいる場合の加算(看護師等遠隔診療補助加算)が新設・拡大されるなど、制度面でも大きな前進が見られた。

郵便局をオンライン診療の拠点に?

 オンライン診療の普及に伴い、医療を提供する場所の概念も変わりつつある。

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