高校時代に目覚めた映画への思い
山中監督が映画を観る楽しさに目覚めたのは高校の頃。監督第1作『あみこ』の舞台ともなった故郷の長野市には、当時ミニシアターも含め映画館が複数あり、映画を観る環境には困らなかったという。
山中監督「長野駅の近くに4つも映画館があったんです。駅の周辺にシネコンがひとつと、日本最古級のミニシアターである相生座・ロキシー、子供向けのアニメをよく上映していた千石劇場、それからイトーヨーカドーの中に入っていたシネマポイント(2020年閉館)という映画館では、高校時代に侯孝賢監督『恋恋風塵』(1987)を観ました。高校に入った当初は友達同士でシネコンへ行っていましたが、たとえ誰と行っても、映画を観ている間は自分と映画だけの時間になるんだと気づいた。それからはひとりでも観に行くようになりました。
高校2年生のときにもっと映画を観るために部活を辞めて、学校では禁止されていたバイトを始め、高速バスで東京の映画館にも通うようになりました。ちょうど吉祥寺バウスシアター(2014年閉館)のクロージングイベントとして開かれていた「THE LAST BAUS」へ行き、『ポーラX』(1999)や、『ゆらゆら帝国 2009.04.26 LIVE@日比谷野外大音楽堂』(2010)を観た記憶があります」
観ることに夢中になるうち、やがて関心は映画を作ることに向き始める。きっかけは、美術の先生から勧められて観たアレハンドロ・ホドロフスキー監督『ホーリー・マウンテン』(1973)だった。
「映画の最後、カメラが後ろに引いていくと撮影クルーが映り込み、監督自身が『これは映画だ』と言って終わる。それを観て、ピュアに、なるほど、映画ってこんなにたくさんの人たちが集まって作っているんだと、それまで意識すらしていなかった事実に気付かされたんです。
2000年代に作られたいわゆるミニシアター系の邦画にも影響を受けました。それまで観ていた古典映画や大作ハリウッド映画とは違って、『青い春』(2001)や『ジョゼと虎と魚たち』(2003)のような邦画は映っている風景が身近で、ものすごくお金がかかっている風でもない。こういう映画なら自分でも作れそうだなと思い始め、じゃあどうしたら映画監督になれるんだろうと具体的に考え始めるようになりました」
映画監督を目指すうえで、この時期、もうひとつ印象的な出会いがあった。
「山戸結希監督の『5つ数えれば君の夢』(2014)を松本シネマセレクトという松本市の上映イベントで観て、20代の女性の監督が物おじせずに堂々と壇上で話している姿が新鮮でかっこよくて、衝撃を受けました。こういう若い女性の監督がいるんだと、現実的に感じられた体験でもありました」
高校卒業後は、日本大学芸術学部映画学科の監督コースに進学。大学で映画作りを学び始めるが、1年生の後期には休学を決める。1年ほど都内のミニシアターとSHIBUYA TSUTAYAに通い、ひたすら映画漬けの日々を過ごした。
「大学に近いこともあり新文芸坐と早稲田松竹にはしょっちゅう通って、一日に何本もはしごしていました。TSUTAYAでは毎回5本から10本借りる、という習慣で、東京に来てから『あみこ』を撮るまでの間に1000本ちかくは観ていたと思います。当時はこの作家と決めて集中して観るより、洋画や邦画の区別なく、古典もドキュメンタリーも含め、なるべくいろんなジャンルの映画を観ていました」
初監督作品『あみこ』で体験した自主上映
大学入学から2年目に、山中監督は初めての映画『あみこ』の撮影に取り掛かる。スタッフやキャストを自ら集め、仲間と共に作り上げた『あみこ』は、自主映画の祭典であるPFF(ぴあフィルムフェスティバル)2017で上映され観客賞を受賞。さらに2018年のベルリン国際映画祭フォーラム部門に史上最年少で招待され、香港、韓国、カナダと各地の映画祭をまわった。ニューヨークで開催された北米最大の日本映画祭ジャパン・カッツの会場で映画を観たミュージシャンの坂本龍一さんからは絶賛コメントが寄せられ、日本でも大きな話題を呼んだ。その年の9月にはポレポレ東中野で自主配給の形で公開。PFFで一次・二次審査の審査員を担当していた同館の小原治さんが早い段階で映画を気に入り、ぜひうちで上映をしたいと申し出たことが公開のきっかけとなった。
19歳でデビュー作を撮影し、20歳でベルリン国際映画祭に招待され、日本での劇場公開を実現した。当時体験した怒涛の出来事を、山中監督は「とにかく大変でした」と振り返る。
「『あみこ』は完全に自主映画だったので、映画祭への出品から日本での劇場公開まで、すべて自分ひとりで準備しないといけなかったんです。映画祭に招待されたら、上映までに提出するものが山ほどあるということも初めて知りました。映画祭のプレスに掲載されるあらすじ数種類から、ポスタービジュアルや宣伝の文言、DCPデータや英語字幕まで、全部自分で調べて準備しないといけなかった。ポレポレ東中野での劇場公開に向けても、小原さんに必要なことを教えてもらいながら、チラシのデザインや舞台挨拶の告知の仕方、SNSの宣伝アカウントの運営まで、イチから覚えていきました。
当時は誰に何を頼んだらいいかもわからなかったし、知らない大人に主導権を握られるのも嫌で、全部ひとりでやるしかないと思っていたんです。大変でしたが、結果的にあのときひととおりの作業を経験しておいてよかったなと思います。映画を一本上映するのがどれほど大変か、何のために配給会社や宣伝部が必要なのかがよくわかり、おかげで今は安心して人にお願いできるようになりました」
『あみこ』は当初、ポレポレ東中野で1週間のみのレイトショー公開の予定だったが、初日から満席となり急遽追加上映が用意され、さらにアンコール上映が続きロングランとなるなど凄まじい反響が起きた。地方での巡回上映が続々と決まり、長野の相生座・ロキシーでも上映された。
今では、ポレポレ東中野には「日本のインディーズ映画の上映館」というイメージが定着し、『あみこ』の後も多くの話題作が生まれていった。劇場のサポートを受けながら監督自身が配給を手がけるスタイルも定着しつつあるが、ポレポレ東中野での自主上映の道を切り拓いたのは山戸結希監督だったはずだと、山中監督は指摘する。
2012年11月、上智大学在学中に山戸結希監督が製作した『あの娘が海辺で踊ってる』(2012)がポレポレ東中野でレイトショー公開された。後日談を描いた舞台『さよならあの娘』の上演と組み合わせる形での上映は大きな話題を呼び、山戸監督はその後次々に監督作を発表。2018年には15人の新進監督を集めたオムニバス映画『21世紀の女の子』を自ら企画・プロデュースし、山中監督も参加した。2010年代のインディペンデント映画の自主配給・自主上映のムーヴメントについてはこの特集でも何度か触れているが、どうしても男性監督たちの名前が多く上がりがちななか、若手の女性監督として山戸監督が果たした役割の大きさを実感させられる。
ポレポレ東中野での『あみこ』公開時には、運命的ともいえる出会いが生まれた。『あみこ』を観て衝撃を受けた当時高校生の河合優実さんは、来場していた山中監督に手紙を渡し、「いつか俳優として監督の映画に出演したい」と伝えたという。