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ジャーナリズムのあるべき姿とは何か――「理と情の人」渡邉恒雄にみる政治学(上)

2025年4月6日

「戦後メディア界のドン」として君臨してきた読売新聞主筆・渡邉恒雄は、誰よりも勉強し、誰よりも取材する記者だった。同時に誰よりも「人を従わせ、物事を決める力」があった。渡邉の「権力」については、強引な手法とともに批判されることもあった。そもそも社内的な権力なくして、一新聞社が憲法改正試案を発表したり、日本の「戦争責任」を議論の俎上にのせたりすることはできなかっただろう。

 2025年2月25日、東京・千代田区の帝国ホテルで、前年12月19日に98歳で亡くなった読売新聞主筆、渡邉恒雄の「お別れの会」が行われた。午前10時半から4回に分けて献花を受け付け、参列者は高円宮妃久子さまはじめ政財界や野球界などから3900人に上った。会場には渡邉の足跡をたどる追悼展も企画され、「終生一記者」「販売第一主義」「活字文化への思い」「日本テレビとともに」「プロ野球界における足跡とスポーツ界への貢献」「執務室とその素顔」の全6章で構成されていた。駆け出しの記者時代のスクープ記事や主筆として執筆した社説、1994年11月3日に発表された「読売憲法改正試案」の紙面などがパネルで展示され、それはそのまま「傑出した戦後メディア人」の全貌を物語るものとなった。

 中でも目を引いたのが、東京・大手町の読売新聞グループ本社から運ばれた机やソファなどで再現された「執務室」である。机の上には、最後に椅子に座って読んだ読売新聞の11月26日の朝刊が広げられていた。脇の本棚には、学生時代から親しんだ哲学書が並べられている。『安倍晋三 回顧録』(中央公論新社)は2カ所にわたって置かれている。そばには幼くして父を失った渡邉恒雄が父と慕った元自民党副総裁、大野伴睦の書や盟友中曽根康弘執筆の書「渡邉恒雄の碑」が掲げられている。自宅マンションのベランダに飛来する鳥などを撮った一眼レフカメラや愛用したパイプなども公開された。

 これらは児玉明子秘書部長を中心とした読売新聞秘書部のアイディアだという。おそらく最期の一瞬まで仕事をした渡邉恒雄の姿を「永遠の今」として刻んでおこうと、さまざまな角度から写真に収め再現したのだろう。再現にあたってもっとも腐心したのは、いかに元のままの汚い状態にするかということだったという。渡邉恒雄は生前から、自らの葬儀のために流すクラシック音楽9曲をテープにとって残していた。それは葬儀でもお別れ会でも流されたが、主筆室の再現は本人にとって何よりの供養だったに違いない。

マスコミの「タブー」を破った憲法改正試案

 渡邉の死にあたっては、「戦後メディア界のドン」の終焉として、功罪相半ばする論評が行われている。私にとっては仰ぎ見るだけの存在ではあったが、50年以上の長きにわたって比較的近くで見てきた者として、最大の功績は、ジャーナリズムの重要な役割として「提言報道」を位置づけたことだと思う。ジャーナリズムには事実を正確に伝える「報道」と、その事実がどんな意味を持つのかという「解説」の二つの機能があると言われてきた。国論を二分するような重要な課題について報道機関として賛否を明確にするなどということは、マスコミの「中立性」を犯すものと思われてきた。……

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