Foresight

中東流動化の燻る火種、イラクでいま何が起きているか――米-イランの板挟みは一層深く

2026年5月30日


<span>中東流動化の燻る火種、イラクでいま何が起きているか――米-イランの板挟みは一層深く</span>
ザイディー首相(中央)が掲げた「武器の国家独占」は、親イラン勢力を弱体化させたい米国が望む方向性であるものの、イラン革命防衛隊との全面衝突を招きかねない (C)Ameer Al-Mohammedawi/dpa via Reuters Connect

イラン革命防衛隊はイラクの治安機構に根を張るが、これを5月に発足したザイディー政権がコントロールするのは不可能だ。イラクは湾岸諸国を攻撃するイランの“隠れ蓑”になりかねず、クルディスタンに対するイラク民兵組織の攻撃も続いている。ホルムズ海峡封鎖による急速な原油収入減少で財政は大きな打撃を受け、デモや暴動の鎮圧行動を通じてイランと連携した民兵組織が影響力を増すことも考えられる。イラク内政の動向は、中東全体の安全保障バランスの縮図となっている。

 2月28日のイラン戦争開始後3か月がたった現在、イランの隣国であるイラクこそが、この戦禍の最大の被害者となったといってもよいだろう。筆者がバグダードに滞在していた2022年から24年にかけては相対的な安定を保ってきたイラクは、改めて国家存亡の危機に直面している。本稿では、イラン戦争の長期化が懸念される中、イラクの現在を深堀りすることによって、その近未来を見通してみたい。

政治的な影響力を持たないビジネスマンの新首相

 5月某日、旧知のクルド人政治家が東京に立ち寄った。米国で開催されたシンクタンクのイラク・セミナーに参加し、クルディスタン(イラクの自治地域)の主都エルビルに帰る前に筆者と旧交を温めたかったからだという。ここでは、H氏と呼ぶことにしよう。

 今回のイラン戦争の最大の被害を受けているのが、イラクであり、クルディスタンなのではないかと問いかけると、H氏は「もはやイラクは国家の体をなしていない。イラク政府を牛耳っているのはイラクの民兵組織であり、その背後にはイランの革命防衛隊がいる」と言い切った。H氏は「スーダーニー政権の後継として、ようやくこの5月14日に成立したアリ・ザイディー(Ali al-Zaidi)政権は、イランとアメリカの妥協の産物に過ぎない」とまくしたてる。

 実際、昨年11月11日に行われた総選挙で勝利したのはムハンマド・スーダーニー首相率いる政党「復興開発連合」だったにもかかわらず、スーダーニー氏は後継候補にならなかった。バグダードの政治を支配する「シーア派調整フレームワーク」(SCF=シーア派の有力政治家12人が参加する事実上の権力機構)は当初、ヌーリー・マーリキー元首相を後継候補に選出した。しかし、この選択は米国政府の怒りを買った。「イランにあまりに近い人物」というのがその理由だ。米国は、ドルの現金のイラクへの送金を一時停止するなどの圧力をイラクにかけた。

 これを受けてSCFは、ザイディー氏を首相候補として差し替えたのだった。同氏はマーリキー元首相と懇意の人物であり、例えばイラク政府の様々な食料調達事業を手掛けて、その利益配分を通じてのし上がってきた人物である。40歳になったばかりで、自身に政治経験は全くない。つまり、SCFの領袖たちが見つけてきた「手駒」といった様相が色濃い。

 日本の読者にわかりやすく説明するならば、イラク戦争(2003年)以降のイラク政治は、昭和時代の自民党の派閥政治によく似ている。イラクでは、国家の重要事は首相が率いる閣議で決まるというより、12人の有力なシーア派の派閥領袖のコンセンサス(12人中8人のコンセンサスが必要と言われる)で決まる。加えて、このあと詳述するように、イラク内政には、民兵組織等を通じて影響力をもつイランと、米国の間で板挟みという構図が大きく左右している。この中で、諸勢力に対して政治的な影響力を持たない新首相が、国家の舵取りを行うことができるのだろうか。

政府がコントロールできない民兵組織

 イラク政治において首相の「実権」を左右するのは、内務省・国防省・情報機関といった治安中枢の掌握にほかならない。しかし、ザイディー新政権では内務・国防といった治安閣僚ポストが未決定のままである。これは単なる事務手続きの遅れではない。「国家の武力を誰が握るか」という根本問題と直結した、治安機構の閣僚ポストをめぐる綱引きが水面下で続いているからだ。

 この問題の中心に存在するのが、「人民動員部隊」(PMF:Popular Mobilization Forces)である。PMFは、2014年のISIS(「イスラム国」)台頭と、イラクのシーア派最高権威アリ・シースターニー師のファトワー(宗教令)を受けて結成され、法的には正規軍に準じる国家機関として制度化されている。しかし、その実態は複雑だ。PMF内部には、イラン革命防衛隊の指揮命令系統に直結する親イラン強硬派(カターイブ・ヒズボッラーなど)の複数組織と、イラク民族主義的な色彩を持ち、ある程度の自律性を保つ勢力が混在している。前者は「イランの外延」として動き、後者はイラクの国内政治の駆け引きの中で独自の利益を追求する。

 ザイディー首相は「武器の国家独占」を政権の看板政策として掲げている。これは親イラン勢力を弱体化させたい米国が望む方向性であるものの、PMF強硬派にとっては解体されるに等しい施策だ。つまり、ザイディー政権は、PMFを抑えようとすればイラン革命防衛隊との全面衝突を招き、黙認すれば米国の怒りを買うという構造的な板挟みに置かれている。これを解決することは、これまでのイラク政権にとっては不可能であった。そして、新政権にとっても最大の急所であることに変わりはない。

 このようなイラク内政の変動が、イラン戦争のタイミングと重なって起きたことは、不幸に不幸を重ねている。「カターイブ・ヒズボッラー」など親イラン強硬派のイラク民兵組織は、事実上イラン革命防衛隊の指令に従い、イランが敵とみなすイラク国内の標的――米軍基地、米国大使館、クルディスタン自治地域政府施設などに対して攻撃を行っている。

 H氏によれば、「この戦争がはじまって、イラクはこれまで800回にわたって、イランとイラク民兵組織の攻撃を受けてきている。攻撃の多くはイランによるもの以上にイラク民兵組織によるもので、その8割はクルディスタンに対するものだ。クルディスタン自治地域政府の大統領であるネチルヴァーン・バルザーニの別荘地にも攻撃があった」という。自治地域政府の要人たちは、戦争開始以降、リスクを回避するために、政府庁舎などのオフィスには赴かず、自宅において勤務を続けているという。

 イラク民兵組織の攻撃は、イラク国内にとどまらない。5月17日にUAE(アラブ首長国連邦)のバラカ原子力発電所がドローンによって攻撃されたが、このドローンは、イラク民兵組織がイラク国内から発射したものであるとの見方が強くなっている。同じ日には、サウジアラビアもイラク側から飛翔したドローンを撃ち落としたと発表している。湾岸諸国には、イラク政府がこうした民兵組織の動きを後押ししているのではないかとの疑念が深まっている。

 ここに、イランがイラク民兵を利用する戦略的合理性がある。イラク民兵は、イランに極めて便利な曖昧性を提供するからだ。彼らが行う湾岸諸国のインフラに対する攻撃について、イランは常に「関知しない」と主張でき、湾岸諸国との全面衝突の回避を可能にする。ただし、これは同時に、イラクが戦場となる事態も招きかねない。湾岸諸国がイラクをイランの「共犯者」とみなすこともありえるからだ。バラカ原発へのドローン攻撃は、いまやイラクが地域の「戦場」にすらなりかねないおそれを示唆するものといえる。

 ザイディー新政権は、イラン戦争の拡大を抑制する存在になりうると同時に、逆に湾岸へ戦火が拡大する導火線ともなりうるのだ。この点で、中東全体の安全保障バランスが、イラク内政の動向にかかっているといっても過言ではないだろう。

原油生産の4分の3が停止、日本企業の権益にも打撃

 新政権はこうした政治的な困難に加え、イラン戦争による経済的打撃も被っている。ホルムズ海峡の封鎖によりイラクは原油を輸出する術を失った。イラン戦争前には日量400万バレル以上の原油生産を誇っていたが現在は約300万バレル超が生産停止、残りの100万バレルは国内消費にまわっている。トルコのジェイハーンに向けてのイラク北部からの原油パイプラインは稼働しており、これに加えてシリアなどへのトラックによる陸上輸送が行われているが、日量せいぜい30万バレル程度と、極めて限定的な輸出量にすぎない。

 イラク政府の財政は85%が原油収入に依存しており、民間セクターが極めて脆弱なレンティアー・ステート(天然資源生産から得られる巨額の「レント(地代・不労所得)」を国民に恩恵的に分配する経済システム)だ。イラクのほとんどの労働者は政府か公的セクターで職を得ている。すなわち、原油からのレントをイラク政府が給与や年金として配分するという事実上の社会主義経済が実態なのである。

 「イラク経済はあとどの程度もつのだろうか」という筆者の問いかけに、H氏は「このままイラン戦争が続き、原油輸出ができなければ、夏までにはイラクの経済が回らなくなるだろう。最低限のイラク財政、すなわち公務員への給料支払いを担保するためには毎月60億ドルが必要だが、今や10億ドルほどの収入しかなくなった(2月の財政収入は68億ドルであったのに対して、4月は10.8億ドルに落ち込んだ)」という。外貨準備も長くはもたない。「イラク・ディナールのドルベースの価値を維持できるか夏以降は極めて微妙になるのではないか。経済は破綻しないかもしれないが、通貨価値が暴落して、ハイパーインフレーションになりかねない」と警告する。

 イラクの経済的なレジリエンスを他の湾岸諸国と比較すると、キャッシュリッチで人口の少ないカタールやクウェートなどと比べれば、もともと原油の上がりに過度に依存し、4800万人以上の人口を抱えるイラクが脆弱なのは間違いない。S&Pは3月17日にイラクのソブリン格付け(長期的に債務を返済できる能力)を「B−」を格下げ方向とするクレジットウォッチ・ネガティブに置いた。これは黄色信号から赤信号への移行プロセスを意味する。アナリストは7月にはイラクは資金繰りが臨界点に達するとの見方をしている。

 イラクには日本企業も石油の権益を維持してきている。石油資源開発(JAPEX)や伊藤忠商事などである。筆者のバグダード駐在時には、こうした企業の幹部とともに何度も石油大臣のもとに足を運び、日イラクの友好な関係の維持を求めてきた経緯がある。しかしながら、イラクの油田から原油が輸出できなければ、日本企業も権益からの上がりを全く享受できないことになる。大規模な円借款を活用して日揮が設備を建設したバスラの製油所も、稼働できない状況に追い込まれている。本来、この日イラク友好の象徴である製油所は、今頃は1日あたり800万ドルの様々な石油製品を製造していたはずだった。

 トヨタ・イラク会長を務めているクルド系イラク人のサルダール・アルベバニ氏も筆者に対して、「戦争が始まって以来、トヨタ、レクサスといったブランドの売上が戦前と比べて一挙に半分に落ち込んだ」と述べ、売れ行きの後退を嘆いている。それまではイラクでのトヨタ車の売上は、中東湾岸地域では断トツの成績で、年々倍々ゲームに近い好調を示してきた。今回の戦争の長期化で、日本車が大好きなイラク国民の財布の紐も固くなってしまったということだろう。

イラクから輸出されるイランの原油

 イラク戦争後成立した新生イラクは、サッダーム・フセイン独裁体制を倒したがゆえに、クルドとスンニ派を従える形でシーア派政治勢力(在外からイラクに戻ったダアワ党など)が政権を握ることになった。米国にとっての誤算は、これらのイラクのシーア派政治勢力の多くが、実はイランのイスラム共和国体制と同じシーア派イスラム主義イデオロギーを信奉していたということだ。

 イラク戦争の結果として、イラン、特にその革命防衛隊のエリートであるクドゥス部隊がテヘランとバグダードの影の支配者となった。その筆頭にいたのが、2020年にバグダードの空港付近で米国によって殺害されたカースィム・スレイマーニ・クドゥス部隊司令官であった。革命防衛隊は、イラクの内戦やISISとの戦いを通じて、イラクにおける様々な民兵組織の支援にあたってきた。イランは、イラクを政治的に支配するために、イラクのシーア派の政治勢力に対しても分断統治(Divide and Rule)という英国的な植民地主義政策を推し進めたのである。この結果として、現在のイラク政治にはシーア派イスラム主義イデオロギーと武装闘争を旨とする、いくつもの民兵組織が強い影響力を持つに至ったのだ。

 イラン戦争が起きる前より、イラクの政治は、こうした民兵組織の力を排除しようとする米国と、彼らに継続的な支援を続けるイランの革命防衛隊の意向との間で翻弄されてきた。そして今回、これらの民兵組織がイランの革命防衛隊と意思疎通を図った上で、湾岸諸国やイラクという国家そのものを攻撃する事態に至っているのである。

 H氏によれば、実は今回滞在したアメリカで、米国政府関係者から「イラクにおいてイランに対抗するためのもっとも効果的な方法は何か」と聞かれた。H氏は「仕方がないのでアメリカ人に伝えたが、それはイラクからの原油を止めることだと言ってやった」のだという。なぜなら、これまでも「イラク産原油」という名目で、実際にはイランの原油が日量100万バレルも様々な国々に輸出されてきたからだ。

トランプによる「イランの反体制クルドを支援」は実施された形跡なし

 バグダードにおけるイラク国内政治と同様に、クルド人自治地域クルディスタンも深刻な分裂問題を抱えている。クルド民主党(KDP、マスルール・バルザーニ代表)とクルド愛国同盟(PUK、バーフェル・ターラバーニ代表)という2大クルド政党は対立し、2024年10月に行われた自治地域の総選挙ではKDPが39議席、PUKが23議席を獲得し、KDPが第1党を維持している。

 しかし、両党間の政治的対立により、新政権樹立に向けた協議では、地域政府におけるポストの奪い合いが激しく、クルディスタンでは2024年の総選挙後も1年7か月以上にわたって新たな地域政府が組織されない。この背景にもまた、イランが影を落としている。KDPがイランに敵対的である一方で、PUKはバグダードの民兵組織とも意思を通わせ、イランに融和的な対応をとっている。

 このイラン戦争が起きて、さらにクルディスタンは窮地に陥った。ドナルド・トランプ米大統領がイランのクルド系組織に武器を供与し、反体制派活動を支援する意向を明らかにしたからである。イラクのクルディスタンには、イランから来た5つの反体制クルド人政治勢力がプレゼンスを維持し、クルド自治政府はイラン政府との間で極めて微妙な舵取りを行ってきている。例えば、イラン政府はこれらのイラン系クルド人のキャンプについて、国境から離れた場所に維持するように求めてきた。越境攻撃の拠点化や、イラン国内のクルド人への影響力を遮断するためだ。

 H氏によれば、今回このトランプ大統領のクルド支援が公になって、イラクのクルディスタンは厳しい状況に陥ったという。イラン及び親イランのイラク民兵組織からのミサイル・ドローン攻撃が激化したからである。イラン国内へのクルド人の反乱分子が流入するのを防ぐ意図があるのは言うまでもない。

 他方、「クルディスタンにいるイランのクルド人勢力はわずか1000人ほど(家族を含めれば5000人ほど)。この程度の勢力でイランに越境攻撃をしても革命防衛隊の餌食になるだけ」と断言する。イランのクルド人が保有する武器はAK47などの小銃程度で、トランプ大統領が豪語していたような、米国からの武器の供与はまったく行われていないという。

 そもそも、バグダードの米国大使館やエルビルの米国総領事館からも、トランプ大統領が述べているような意向は、クルド側に伝えられていないという。にもかかわらず、イランによる過剰な反応が、クルディスタンに大きなダメージを与えたというわけだ。

予見される経済的困窮、そして大規模デモの可能性は何を意味するのか

 イラクとイランは、シーア派イスラム主義という政治的イデオロギーを共有することで密な関係を築いてきた。そして、まさにこの紐帯が、現在のイラン戦争下でイラクの国家体制に打撃を与えている。イランのイスラム共和国体制が仮に崩壊した場合、ナジャフやカルバラーなどイラクにあるシーア派聖地に多くの体制派イラン人が避難してくると言われている。

 筆者が「イランの体制が倒れたとすれば、イラクはどうなるだろう」と尋ねてみると、H氏は「イラクのシーア派民兵組織の問題は残り続ける」と指摘した。イラク戦争後に生まれたイラク人が国民の半数に達しようという現在でも、イラクの国家体制の根幹には、シーア派イスラム主義が強靭な根を張っているとの分析だ。

 イラン戦争の結末は、間違いなくイラクにも波及するだろう。筆者が見てきた大多数のイラク人の若者たちは、イラン人の若者と同様に、もはや保守的なシーア派イスラム主義とは無縁の世界にいる。彼らには日本の若者と変わらないような世俗的なメンタリティがある。イラクやイランの指導者たちは、人口動態という歴史の流れに逆らうことができるのだろうか。

 その前に、7月以降もホルムズ海峡封鎖が続けば、給与支払い停止・ディナール急落・社会不安という連鎖が現実味を帯びる。前述のとおり、毎月最低でも60億ドルの財源が必要なイラク政府の収入は、今やその6分の1にも満たないのだ。公務員への給与が滞り、マフディー派などが仕掛けうる大規模デモや暴動が起きれば、事態はザイディー政権の手に負えなくなる。その場合、2022年の夏にマフディー派の大規模デモを民兵組織が実力で鎮圧したように、大規模デモを抑圧する形で政治の空白を埋めるのは、改めて民兵組織にほかならないだろう。つまり、イラク内政へのイランの影響力は、アメリカとイスラエルが仕掛けたイラン戦争によって、さらに拡大するかもしれない。今年のバグダードの夏は例年以上に暑くなることは間違いないだろう。

おすすめの記事

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

おすすめの動画

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

ニュースレターを購読する

新潮QUEは、「問う力」を養っていくためのサブスクリプションサービスです。

無料登録する