戸塚ヨットスクールを求めているのは誰か――暴力を呼び寄せる「崇高な理想」の罪
戸塚宏氏の著書『本能の力』(新潮新書)が、発売から約二十年が経過した今なお、読まれ続けているという。戸塚氏のYouTubeチャンネル(令和ヨットスクール)も登録者数10万超というから、一定の支持者がいることは明らかだ。
『本能の力』を読み始めると、一分とかからずに体罰肯定論が現れる。途中、賛同できない持論が次々展開される。読了するまで眉をひそめてしまうこと、しばしばであった。
同書では、戸塚ヨットスクールの実績がエピソードと共に多く紹介されている。死亡者も出したが、救われた生徒や親もいるということだろうか。戸塚氏の持論である「脳幹論」についても述べられている。ただし、本稿ではその真偽も含め触れない。論点は別にある。
筆者自身は、戸塚氏の体罰肯定論には与しない。
しかし、それでも同書には耳を傾けるべきものがある。なぜならば、そこには今日の学校教育に抜け落ちている「二つの常識」が記されているからだ。そして私自身、その問題意識については賛同できる。
結論を先取りすれば、その常識とは「訓練の実施」と「非常時モードの運用」の重要性である。現在の学校では集団生活を守るための訓練や、適切な学習環境を維持するための指導が、必ずしも満足に実施できていない。また、他生徒の学習を妨げる指導困難な生徒の出現という非常時には、本来、「出席停止制度」を運用することが可能とされている。しかし、この非常時モードはほとんど運用されていない。結果として「加害者」が出席し続け、「被害者」が不登校になるという事態を招きやすい。
戸塚氏は子どもたちには訓練が必要であると説く。さらに非常時にはそれに適した対応があるとも。
「体罰は善なり」というメッセージに気を取られがちだが、この「二つの常識」に関する戸塚氏の指摘は、現在の学校教育の弱点を衝いている面があることは否定できない。
公教育の空白が生んだ戸塚ヨットスクール
筆者が学習塾の経営をはじめて、今年で12年目になる。開塾当初からホームページやチラシには、不登校児を積極的に受け入れると明示してきた。毎年のように学校に通えなくなった生徒たちがやってくるが、そのなかには、欠落した「二つの常識」により起きたであろう学級崩壊やいじめが原因と思しきケースも少なくない。専門家と連携したり、時には社会との接点をつくるためプライベートで一緒に外に出かけたりしたこともあったが、一度壊れた心は、そう簡単には元に戻らない。
ここに、理不尽かつ非対称的な構図がある。学級崩壊やいじめを起こした側は、出席停止制度が機能不全に陥っているため学校に残り続ける。しかし被害を受けた側は、その学校に通えなくなり容易に外にはじかれてしまう。
その意味で、戸塚ヨットスクールは時代の鬼子だ。
学校が荒れたとき、授業が成り立たなくなったとき、家庭も学校も子どもを抱えきれなくなったとき、本来であれば公教育の内部に、暴力を伴わない非常時の制度が用意されていなければならない。しかし現実には、その仕組みが十分に働いてこなかった。だからこそ、学校の外部に危うい教育機関が現れた。戸塚ヨットスクールは、公教育の空白が生んだといっても過言ではないのだ。
問題の本質は、戸塚ヨットスクールを必要としてしまう社会の側に、深刻な欠陥があったことに尽きる。学校が非常時に対応する制度を持たないまま、平時の理想だけを語り続ければ、困り果てた親たちは、いつか学校の外部に「強い教育」を求めるようになるだろう。
本気で体罰反対を唱えるのならば、戸塚氏が暴力で埋めようとした空白を、暴力抜きに制度で埋め直すことを考えなければならない。必要なのは体罰の復活ではなく、訓練と非常時モードの再構築である。