中国外交の動きが目立つ。5月13日から15日までドナルド・トランプ米大統領が訪中したかと思うと、その直後の19日から20日までロシアのウラジーミル・プーチン大統領が訪中した。6月8日から9日まで、今度は習近平主席が北朝鮮を訪問した。米国、ロシア、北朝鮮という現在の中国外交の主要な内外プレーヤーが登場したことになる。これらの往来を通じ中国外交は何を達成しようとしているのか、それが日本にとりどういう意味を持つのかを考えてみよう。
主役が中国に交代した「1950年の再現」
最近、中国のソ連・北朝鮮の研究者である沈志華氏の大著『最後の「天朝」―毛沢東・金日成時代の中国と北朝鮮』1を再読した。ロシアにおいて昔の公文書が公表され、中国においても関係者のメモワールや記録が出版されているだけに、それらを踏まえて記述された本書は、これまで闇に包まれていた北朝鮮が発動した朝鮮戦争の北側の内幕を明らかにしている。とりわけ権威主義的なプレーヤーのチャンピオンというべきヨシフ・スターリン、毛沢東、金日成の実際の発言と駆け引きが書き込まれており面白かった。
あの当時は、この3人が、すなわちソ連であり、中国であり、北朝鮮であった。最後は彼らの判断が国の政策となった。スターリンは、共産主義国家として、国際共産主義運動の名の下に、ヨーロッパにおいて苛烈に勢力圏を拡大していた。しかし、すでに米ソ冷戦が始まっており、東アジアでは米国と軍事衝突することを恐れていた。毛沢東は1949年10月に共産主義政権を打ち立てたばかりであり、共産主義陣営の一員として米帝国主義と闘うことに迷いはなかった。金日成は朝鮮の独立と統一を追求する強い意志と大国を手玉に取る外交手腕を持っていた。ソ連は圧倒的存在であり、ソ連の動きがカギであった。
スターリンは、逡巡はしたが、最後は米国の関与はないと見て金日成の南進を許した。米国のヨーロッパへの関与を弱める計算もあった。1950年6月25日のことである。中国との関係を悪くする気もなかったが、中国の北朝鮮への影響力が大きくなりすぎても困る。中国の関与を減らすために事前の調整もほとんどやらず、開戦も事後通報であった。米軍が参加し、米軍が中朝国境まで迫った時点で、ソ連と北朝鮮はようやく中国の支援を要請し、1950年10月19日、中国は「人民義勇軍」の形で参戦した。参加する準備はできていたし、米軍の中国への侵攻の可能性もあったからだが、それ以上に北朝鮮の消滅、すなわち米国主導の韓国による朝鮮統一を恐れたからだ。ソ連が約束した空軍による支援は限定的かつ非公式な形でしか実現されなかったが、多大の犠牲を払いながらも米軍と互角に戦った。これで中国の北朝鮮に対する発言権は確保された。
朝鮮半島は、米国、中国、ソ連にとり戦略的に重要な場所である。それ故に、お互いに朝鮮半島がいずれか一国の影響下に入る事態はどうしても避ける必要があった。南北が分断され、それが固定された最大の理由は米国、中国、ソ連の都合による。ソ連はロシアに変わり、スターリンはプーチンに、毛沢東は習近平に、金日成は金正恩に代わったが、この基本構図は変わらない。しばし途絶えていた権威主義的指導者のそろい踏みであり、1950年の再現のようにも見える。だが最大の違いは、中国の台頭とロシアの国力の低下により主役の座が中国に移った点にある。中露に権威主義的政権が再登場し、自国利益の大胆な追求により既存秩序を動揺させているところに、トランプ大統領の米国が負けてなるかと加わった。今や世界はこの三大国による自国利益追求の場になった観さえある。
しかし、この三国の利益が一致する分野は小さい。彼らの利益が衝突し続けるかぎり、たとえ小国でも外交技術さえあれば生き延びることができることを北朝鮮は示している。