<span>「防衛大臣補佐官になってほしかった」小泉進次郎が慕う「伝説の外交官」が見据えていた国際社会の最前線</span>
議員会館で取材に応じた

国際秩序の液状化が各地で戦火を招いている。かつて世界を巻き込んだ戦争に日本が直面した際、日本の「名誉ある地位」を守ろうと奮闘した外交官がいた。岡本行夫である。「日米同盟の最深部まで知る男」と称された岡本は、アメリカの思考を熟知し尊重しながら諫言を続けた。アメリカが国際社会に背を向ける今、岡本の事績に何を学ぶべきだろうか。親交の深かった小泉進次郎防衛大臣に話を聞くと、開口一番、「岡本さんがご存命なら防衛大臣補佐官に就任していただきたかったです」と口にした。(敬称略)

総理大臣執務室で『ブラックホーク・ダウン』を

 岡本行夫は1945年生まれの外交官である。一橋大学を卒業後に外務省に入省、北米局の安全保障課長や北米第一課長など日米外交の要職を歴任したのちの91年、働き盛りの45歳で退官して岡本アソシエイツを設立。橋本龍太郎や小泉純一郎など時の首相の補佐官として日米関係の「正常化」に努めたが、2020年に新型コロナウイルスに感染し死去した。

「岡本さんは日米関係の尽力者ですし、父の補佐官や外交顧問をしてくださっていた。私はアメリカ(のコロンビア大学の大学院)に留学したり、シンクタンク(米陸海軍直系の戦略国際問題研究所/CSIS)で研究員をしていたでしょう。だから、いくつもの接点がありました」

 小泉純一郎が首相になったのは2001年4月。岡本は9月から内閣官房参与となり、03年3月20日にアメリカがイラクに侵攻すると、その直後の4月からイラク担当の総理大臣補佐官として働くことになる。イラク戦争が終わった後のイラク復興への日本の協力を担当するポストだったと、岡本は自著『危機の外交 岡本行夫自伝』に記している。同書から岡本がイラク戦争に際して何を考え、どのように動いたかを紹介してみよう。

〈2003年1月、既に米軍はクウェートを中心に湾岸に7万人の兵力を集めていた。軍隊というものは、ひとたび大兵力で前線に展開されれば、戦闘に使われる可能性が大きい。大勢の兵士たちを酷暑の中でテントなどの狭いところに何ヶ月も閉じ込めれば、多くの場合、どこかの時点でそれを解放することが必要になってくるからだ。湾岸戦争の時に、5ヶ月間、サウジの砂漠にテントを張って戦闘開始を待った50万人近い米兵たちのことが思い出された。

 今回も、だんだん気が重く不吉な気分になっていった。戦争が始まれば、日本はアメリカから協力を求められる。どうするのか〉

 当時、日本の政府部内ではサダム・フセインに毅然と対応すべきだとの空気が支配的だった。湾岸戦争の時のような鮮やかな米軍の勝利が予測されていた。

〈しかし、僕は、簡単な戦争ではないと思った。

 2月のある日、僕は総理大臣執務室にDVDプレイヤーとスクリーンを持ち込み、『ブラックホーク・ダウン』を小泉さんに見てもらった。1993年にソマリアで18人のアメリカ海兵隊員らが殺され、その死体がトラックで引き回された事件を題材にした映画だ。米軍が都市でゲリラ型の攻撃を受けると多くの犠牲者が出ることを描いている。

「アメリカはバグダッドまでは簡単に進めるでしょう。問題は、そのあとのゲリラ戦です。米軍はイラクで泥沼に入り込むでしょう」

 僕はこの見通しを政府部内でいろいろな人に言ってみたが、あまり賛同者はいなかった〉

 いよいよ開戦が不可避となった2月26日、岡本は福田康夫官房長官の許しを得て、ワシントンを訪問する。スティーブ・ハドレー(国家安全保障問題担当次席補佐官)、エリオット・エイブラムス(中東担当特別補佐官)、リチャード・アーミテージ(国務副長官)、ジム・ケリー(国務次官補)、ポール・ウォルフォウィッツ(国防副長官)、リチャード・マイヤーズ(統合参謀本部議長)――彼らに加えて民間の有識者たちにも会い、帰国した岡本は、小泉首相と福田官房長官のもとへ直行して情勢を報告。最後にこう説明した。

〈①戦闘が始まってしまったら、日本は米国を支持する簡潔で力強い声明を出すべきです。ただし邦人保護、難民・周辺国支援などとは切り離すことが必要だと思います。アメリカを国際社会につなぎとめ、孤立主義に向かわせないためにも、日本はアメリカを支援すべきだと信じます。

 ②日本の貢献の対象は、インフラ・産業復旧、ガバナンス、人道援助、債権処理、地雷除去など広範囲にあります。そして最重要なのはスピードです〉

 小泉進次郎は、このくだりを覚えていた。

「アメリカを国際社会につなぎとめ、孤立主義に向かわせないために、アメリカを支援する。その信頼関係をもとに、アメリカに難しい提案をして、地域と世界に安心と平和をもたらす。その役割は日本にしかできないんです。世界の秩序をどのように維持して、平和をどう守るのか。インド・太平洋、欧州・大西洋、日本は世界の平和に独自の貢献ができる」

『危機の外交 岡本行夫自伝』を手に

ホール・オブ・ガバメント・アプローチ

 防衛大臣に就任してから9カ月、小泉は精力的に「防衛外交」を展開してきた。アメリカのピート・ヘグセス国防長官と7度、韓国の安圭伯国防部長官、オーストラリアのリチャード・マールズ副首相兼国防大臣と6度、といった具合に会談を重ねながら、NATO(北大西洋条約機構)の会合など国際会議の場を活用してアジア各国の首脳や防衛大臣とも協力関係を深めてきた。

「ホール・オブ・ガバメント・アプローチというんですが、いまは縦割りを排して政府全体で重要な課題に取り組んでいく時代です。私の立場から言えば、防衛が外交の領域もカバーして、防衛協力を通じた外交関係の構築を進めているんです。こういう時代だからこそ、外交と安全保障に通じた岡本さんがいまもお元気で防衛大臣補佐官を務めてくれたら、と心から思います」

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