政治

「軍人」たちが見た「9・11」 自衛隊と日米同盟を変えたテロ事件

2021年9月13日

米本土が襲われるという真珠湾以来の衝撃が、アメリカの国家安全保障観を根底から揺さぶった。湾岸戦争で「too little, too late」と評された日本に、同盟国としての主体性が待ったなしで問われていた。2001年の「テロ対策特別措置法」から始まった法的整備は、安全保障の現場のどのような任務遂行から積み上げられて行ったのか。事件当時ワシントンに駐在していた元自衛隊幹部が「9・11」の意味を問い直す。

 

「軍縮」を志向していたアメリカ

 筆者は1999年7月から2002年7月まで、在ワシントン日本大使館において防衛駐在官として勤務し、特に最後の一年間は防衛班長を務めた。赴任当時のアメリカは、「経済一色」だったといっても過言ではないだろう。東西冷戦が終わり、湾岸戦争によりイラクからクウェートを解放し、ユーゴスラビアの民族紛争もコソボ空爆による人道的介入で解決したとして、国家対国家の大規模戦争の可能性はほぼ考えられず、一般のアメリカ人はひたすら「平和の配当」を求めていた。クリントン―ゴア政権のEコマースへの投資による、いわゆるインターネットバブルともいわれる時期にワシントンに着任した筆者は、「コンピュータ2000年問題」への対応のために徹夜で働いたことを思い出す。

 一方日本では、98年8月に北朝鮮のテポドンミサイルが日本上空を飛行。99年3月には能登半島沖不審船事件が起き、同年5月28日には「周辺事態法」が公布されていた。つまり日本人が戦後初めて直接的な脅威を認識し、自衛官にとっては、訓練ではなく、実任務として対処すべき脅威が顕在化したころだった。

 したがって、日米の安全保障関係者の間では、民族紛争やテロ、大量破壊兵器の拡散が叫ばれており、核抑止がきかないイスラム原理主義組織などが「核とミサイルを獲得できる」可能性を念頭に、「迎撃して排除するしかない」という発想が現実化しつつあった。いわばミサイル防衛の萌芽の時代である。このように、新たな脅威に着目した議論や研究が盛んになっていたものの、まだまだ一般国民にとっては他人ごとのように思われていた。……

おすすめの記事

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

おすすめの動画

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

ニュースレターを購読する

新潮QUEは、「問う力」を養っていくためのサブスクリプションサービスです。

無料登録する