第100代首相に就任した岸田文雄氏は、自民党ハト派の宏池会出身総理としては、池田勇人(在任1960~64)、大平正芳(1978~80)、鈴木善幸(1980~82)、宮澤喜一(1991~93)に次いで5人目だ。名門派閥で、政策に明るいものの権力闘争に弱く、「お公家集団」と揶揄されてきた宏池会の首相は、外交・安全保障は必ずしも得意ではなく、結果的に外交の失敗が少なくなかった。日本を取り巻く国際環境が緊迫度を増す中、「岸田宏池会外交」への不安が残る。
米外交文書が明かした池田勇人への秘密接触
宏池会は1957年、吉田茂派(吉田学校)の門下生である池田勇人が、ライバルの佐藤栄作と吉田派を分割する形で自民党内に結成し、官僚系を中心とした人材が結集した。池田は1960年の日米安保条約改定に伴う安保闘争で岸信介首相が退陣した後、後継首相に就任し、軽武装・経済重視の「所得倍増計画」を推進し、外交では対米従属が目立った。
対米癒着では、岸・佐藤兄弟が知られるが、実際には池田の方が米国への盲目的な従属が顕著だった。岸は日米安保条約改定後、憲法改正や軍事力強化、在日米軍基地縮小など対米自立を画策していた。岸を「悪魔の政治家」と酷評していた非主流派の池田が1959年に通産相として岸政権に入閣し、後継の座を射止める背後で、米政府が動いた形跡がある。
米政府が解禁した外交文書によれば、1959年頃から在日米外交官と池田の秘密接触が始まった。安保騒動がピークに達した60年6月21日、米大使館が国務省に送った公電は、……