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前編

アダム・スミス『国富論』から学ぶべき“時代の振り子”

2026年5月20日


<span>アダム・スミス『国富論』から学ぶべき“時代の振り子”</span>
「金」価格が高等する現代は、重商主義時代を彷彿とさせる面もあろうか(sasirin pamai/Shutterstock.com)

 世間で最も誤ったイメージをもたれている偉人の一人が、「経済学の父」ことアダム・スミスではなかろうか。「神の見えざる手」なる言葉に引っ張られた通俗的な理解には、実は誤解が多い。知名度の高い『国富論』に加え、道徳哲学を説いた処女作『道徳感情論』という2つの大著を正しく理解してこそ、スミスの本質に迫ることができ、それが現代社会を生き抜く上での教養という“武器”にもなるのだ。 前編では、『国富論』のエッセンスと、“経済の専門家としての読み解き方”について、経済アナリストの森永康平氏にきいた。

アダム・スミスを取り巻く誤解

 アダム・スミスといえば、社会科の教科書でも紹介されている通り『国富論』を著した「経済学の父」というイメージが強すぎて、実は道徳を専門とする哲学者であったことはあまり知られていないと思います。

 彼はまず自らの思想を『道徳感情論』という本にまとめ、そのなかの経済や財政に関する部分を『国富論』でより詳細に書きました。これら18世紀後半に記された2冊の“古典”に現代を読み解くヒントがある、そう言ったら驚く人が多いかもしれません。しかし優れた古典には、かつての社会や経済、政治のあり方が的確に描かれており、それがその後どう変化してきたかを学べば、現代社会が抱える課題や矛盾の背景がよく見えてくるし、これからの時代の変容を予測する上でも役立ちます。

 なかでもアダム・スミスの『道徳感情論』と『国富論』は、国際的にグローバリズムからブロック経済への転換が進み、格差も広がり続けるこの現代社会を生きるビジネスパーソンにとって示唆に富んだ名著。前編では、『国富論』のポイントを解説していきたいと思います。

分業と交換

 まず、アダム・スミスが生きた時代について押さえておきましょう。彼は1723年にスコットランドに生まれ、18世紀半ば頃から産業革命で経済が急拡大していくなかで哲学者となり、1776年、53歳のときに発表したのが『国富論』です。

 本書では、まさにこの産業革命が社会や生活をどう変えたか、なぜ人々は豊かな生活を送れるようになったか、ということをテーマにしています。要因としてもっとも大きいのは言うまでもなく「技術革新」で、それまで人力で行われていた生産行為の多くが機械化され、生産性が大きく向上しました。

 それに加えて大きいのが、「分業」と「交換」です。つまりひとつの事業に関連する業務をすべてひとりが担うのではなく、人や設備などのリソースを適切に配分する。また各フェーズでの成果物を現物交換や貨幣による売買によって適切に配分する。こうした要因が本書の中では度々強調されています。たとえば服を作って売るには、まず原材料を生産するために羊を育成し、その羊毛を刈り、品質ごとに選別し、糸にし、糸を染め、その糸で布を作り、布で服を作り、その服を店頭や行商で売る、といった具合に多数の工程を経る必要があります。これらの工程をそれぞれの専業者が分業して手掛けることで効率が上がり、ひとつの業務に集中するなかでスキルも上がり、またその成果物の交換が行われることで、さらなる生産性の向上につながったのです。

 こうした分業などによる恩恵について、アダム・スミスは「見えざる手」という言葉を使って説明しています。これは現代における経済学の講義や書物などでアダム・スミスに言及する際、必ずと言って良いほど用いられる「神の見えざる手」というフレーズの元となった言葉です。世間一般では「モノやサービスの価格は需要と供給のバランスで自然と適切に決まるのだから、市場の自由競争に任せていれば経済の効率化と成長につながるのだ」といった新自由主義的な意味合いで理解されがちなのですが、実はこの認識は間違っています。アダム・スミスの言う「見えざる手」とは、人々が自身の私的利益を追求する行動が意図せずして社会全体の利益や最適な資源配分につながるという自動調整メカニズムのことであり、産業革命における技術革新や分業などの恩恵をピタリと言い当てたフレーズなのです。

高市政権の「ワイズ・スペンディング」に潜む危険性

 アダム・スミスは国家の役割についても言及しています。基本、政府の役割は限定的にすべきだと主張しているのですが、これも新自由主義的な「政府は一切、市場に介入すべきではない」といった極論を述べているわけではなく、「安全保障」、「司法」、そして「公共事業」に限定すべきだと述べています。

 公共事業とは言い換えれば、高市政権も力を入れている「国土強靭化」につながるインフラ投資のことです。よく政府の財政政策における公共事業について「国が野放図に国債を発行して投資を行うと財政が立ち行かなくなるから、ちゃんとリターンが期待できる分野のみに的を絞って投資を行うワイズ・スペンディング(賢い支出)を心掛けるべきだ」などと提言する有識者がいますが、私はこれは危険な発想だと思います。確実にリターンが得られる事業への投資には真っ先に民間企業が取り組んでいるわけで、政府がやるべきは放っておいたら誰も手をつけないような、大きなリターンが期待できない老朽インフラの改修や補修などへの投資だからです。アダム・スミスが政府の重要な役割のひとつに公共事業を挙げているのはまさにこうした意味合いからであり、やはり新自由主義とは一線を画す思想と言えます。

「重商主義」で国は豊かにならない

 本書でもうひとつ重要なのが、冒頭に述べた通り道徳を専門とする哲学者ならではの視点で、経営者と労働者の関係性に言及しているところです。

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