脳に悪いスマホで「毒を以て毒を制す」
私は2005年に発売された任天堂の『脳を鍛える大人のDSトレーニング』を監修しました。このゲームは世界的にもヒットして、特に日本では「脳トレ」ブームが起きました。脳トレという言葉を生み出した私自身、しばらくテレビや新聞などメディアに引っ張りだこになりました。
早いもので、あれから20年以上が経ちました。ブームというのは遅かれ早かれ過ぎ去るものですが、私たちはその後もずっと脳の研究を続けてきました。当然ながら、脳トレも20年前から大きく進化しています。
任天堂の『脳トレ』シリーズは、ニンテンドーDSやNintendo Switchといったゲーム機用のソフトでしたが、いま私が手掛けている最新版の脳トレは、スマートフォンのアプリを使用しています。ここで「え?」と思う方もおられるでしょう。スマホって、脳に悪影響を与えるイメージがありますよね。たしかにスマホは脳に悪い。それは間違いありません。他ならぬ私自身が『スマホが脳を「破壊」する』(集英社新書、2019年)、『スマホ依存が脳を傷つける』(宝島社新書、2023年)といった本を出しているくらいですから。
では、なぜスマホは脳に悪いのか。一つは、ほぼ全てのアプリにおいて、使用中に前頭前野の働きが活性化していないからです。むしろ前頭前野の働きが抑制され、脳の疲労も蓄積しやすいと言われています。というのも、脳の疲労を感知して「疲れているよ」と教えてくれるのも前頭前野の機能です。スマホを使っていると、たくさんの情報が目や耳から入ってくるため脳の後ろ半分は全力で動いているにもかかわらず、前頭前野自体はあまり働いていないので、「まだあまり疲れていない」と誤解して脳を過活動させてしまうわけです。
もう一つ、スマホ使用者は単一のアプリに滞留する時間が非常に短い。これを「スイッチング」と言いますが、スマホは色々なアプリを頻繁に切り替えて使うよう設計されています。一つのことに集中している最中に、プッシュ型で様々なメッセージが入ってくることは、心理学的にも悪影響があります。これはすでに1990年代から指摘されていました。当時アメリカの大学生たちがパソコンを使って宿題をやるようになり、2000年代に入るとFacebookなども登場した。ちょうどその頃から、若者たちが鬱病になりやすくなったり、読解力が極端に落ちたりする事例が確認され始めました。若年代にスマホが爆発的に普及した現在、状況はさらに悪化しているかもしれません。
それなのに、なぜ、よりによってスマホで脳トレなのか? 私は、よく冗談で「毒を以て毒を制す」と表現しています。これから順を追って説明しましょう。
皆さんの中にも、普段スマホでゲームをやっている方は多いでしょう。先述のとおり、スマホゲームをしている時、多くの人の脳内では前頭前野がほとんど働いていません。なぜ断言できるかというと、私が実験を通して実際に確認しているからです。
私の研究室では、近赤外光を用いた特殊なセンサーによって、前頭前野の活性化(脳科学上の専門用語では「賦活化」といいます)の度合いを測定しています。脳の活動が活発な部位ではヘモグロビンが増加します。近赤外光は人体組織を通り抜けますが、ヘモグロビンには吸収されるという性質を利用して、跳ね返ってくる光の量によって脳活動を可視化するのです。特定部位が活性化するということは、その部位が司る機能が数秒前に使用されたことを示唆します。
私たちの脳トレが普通のゲームと違うのは、ほぼリアルタイムで前頭前野をモニタリングし、プレイ中に実際に脳が活性化することを確かめながら制作しているからです。ただし、実は私たちは、100人中70~80人に効果があることを目標に脳トレを開発しています。つまり、20年前のブーム当時も、効果があると信じて皆さんがやってくれていた脳トレゲームは、100人中20~30人には効果がなかったということです。
そう聞くと、「騙された!」と思うかもしれませんが、そうではありません。そもそも科学とはそういうものなのです。これは医薬品も同じで、逆に「全員に100%有効です」と謳う薬があったとすれば、それは似非科学です。そんな薬はこの世に存在しません。
では、脳トレが実際に脳を活性化させているか、自分に「効いている」か否か、どうすれば判断できるでしょう。答えはシンプルで、私たちが研究室で行っていたように、ゲームをしながら自分で脳活動を計測すればいい。かつては、そのための近赤外光センサーが非常に高価で大掛かりだったため、限られた研究室でしか使用することができませんでした。しかし、長年の研究開発の結果、センサーを超小型化し量産することに成功しました。個人が自宅で気軽に、脳活動をモニターしながら脳トレができる時代になったのです。
あなた自身の脳からリアルタイムでフィードバックをもらい、確実に前頭前野を活性化させ続ける。専門的には「ニューロフィードバック」と呼ばれていますが、これこそが2026年現在の最新にして最強の脳トレなのです。
メイド・イン・ジャパンの技術の結晶
この「ニューロフィードバック」は、実はスマホと相性が良い。額に取り付けたセンサーとスマホのアプリをBluetoothで接続し、前頭前野に常に適切な負荷が掛かり続けるように、アプリが自動的にゲームの内容や難度を調整できるからです。
普通のスマホのパズルゲームなども、おそらく初めてプレイした時は、ある程度は前頭前野を使っているでしょう。しかし、人間の脳はあっという間に慣れます。同じゲームを続けていると、すぐに前頭前野の活動が下火になる。それに対し、ニューロフィードバックを使ったシステムは、常に脳が活性化している状態をキープする脳トレを提供できます。
こうした進化が可能になったのは、超小型で高性能なセンサーを開発できたことが大きい。このセンサーは、メイド・イン・ジャパンの技術の結晶です。私たちは2017年に『NeU(ニュー)』という事業会社を立ち上げました。現在はこの会社を中心に、脳トレの開発と販売を行っています。主要な出資者は、経済産業省のファンドである東北大学ベンチャーパートナーズのほか、日立ハイテク、三井物産など。このうち、日立製作所の中央研究所が1990年代に開発した近赤外光による脳計測技術(光トポグラフィ技術)が、センサーの核になりました。