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死ぬ瞬間、一切の執着を持たない理想的な死

2026年6月4日


<span>死ぬ瞬間、一切の執着を持たない理想的な死</span>

  生き方、死に方に関する本が次々と出版されます。最近出版した僕の『運命まかせ』も生き方について語った本かも知れません。生きる、死ぬは本来哲学の問題で、われわれが考えるテーマではなく、知らん顔してほっといていいんじゃないかと思うんですが。

 生まれてきた以上、生きるしかないから生きているけれどいつか死ぬことは決まっています。そんな答えのでている問題をいじくり廻したってしょうがないように思うのですが、人類にとってこれが大問題なんです。「生きる目的」と題したような本もあります。本当に生きることに目的などあるんでしょうかね。何のために生きるのでしょうか。死なないためですかね。そのために誰もが健康に興味を持つのかも知れません。

 それとも誰かのために? 家族のために? 社会のために? 国家のために? やっぱり自分のために? よくわかりません。ひとたび戦争にでもなったら、昔の日本みたいにお国のためにということになるんでしょうか。アメリカやイランや、ロシアやウクライナの戦士達は本当にお国のために死ぬんだと考えていますかね。だけど戦死でもするとやっぱり国家のためだったということになってしまうんですかね。それは死ななかった人の論理で実際に戦死した人の全ては死にたくなかったはずです。

 話を戻しますが、僕は生きることは遊ぶためではないかと思うのです。僕は芸術家の端くれにいる人間ですが、そんな人間の本質はどうも遊びではないかと思うのです。遊びには目的などありません。遊びたいから遊ぶんです。快楽の追求とか、自由の解放とか、まあ色々言えますが、遊びはもともと何の役にもたたない、無駄なものです。幼児の遊びは延々と無駄なことをやっています。しかも生(いき)々(いき)として遊んでいます。ここにもしかしたら人間の本質があるんじゃないでしょうか。

 と、考えると僕はやっぱり遊ぶために生まれてきて、遊び疲れて、そして死んで行くのではないか。そして、僕の遊びというのは、やっぱり芸術をする、絵を描くことではないかと思うのです。絵は徹底的に遊んだ結果ではないかと思います。絵に限らず、好きなことに徹することはどこか遊びに通じています。

 野球や相撲を観てても同じことを感じます。遊びにしてはあまりにも真剣ですが。まあ、それを職業にしてギャラを貰っているので真剣にならざるを得ないのでしょうが、もう少しいい加減に、投げたり、打ったり、取ったりしてもいいんじゃないかと思うのです。そうなれないのは生活がかかっているからでしょうね。遊びに生活を持ち込むと純粋に遊ぶことができなくなるのです。

 でも芸術は、生活がかかっていますが、いちいち生活のことなど考えません。むしろ売れない絵を描くことに熱中したり夢中になります。それが遊びです。

 そして死ぬ瞬間まで画家は絵筆を離しません。死んだら無になるのか、死後生があるのかそんなことさえ考えません。それを考えるとそのことが目的になってしまうので純粋に遊び(創作)ができません。生きるも死ぬも全て創作の中にあるのです。芸術に生きて芸術のために死ぬ。それが全てです。死んだら無になるとか、天国に行くのか地獄に落ちるのかさえ無頓着です。つまり究極の遊びというのは無頓着です。

 いずれにしても、生死に目的を持った瞬間から生きるも死ぬも難かしくなって、大きい問題に変わってしまいます。何かの目的に対する理由づけをしてしまうからです。そんな理由は執着を生むだけだと思います。理想的な死は死ぬ瞬間に一切の執着を持たないことではないでしょうか。つまり無責任になることです。生きるにしても死ぬにしても理由をつけてしまうと、その瞬間からその理由に縛られて魂が肉体に呪縛されてしまいます。生きることも、死ぬことも理由などない方が、すっきりします。

 この間、わが家の愛猫おでんが死にましたが、死ぬ間際まで名を呼ぶと元気に尾っぽを何度も振って、まるで遊んでいるように見えました。そりゃ死の意識というか、これで自分は終るんだろうなあという意識というか、そんな感覚は持ったと思いますが、人間のように、ノスタルジーや無念な感覚はない様子で、すんなりと死んでいきました。たった15年の寿命でしたが、いかに生きて、いかに死ぬかなんて難かしい哲学的なものもなく、スーッとフェイドアウトするように死んでいきました。

 人間も、猫のように、あれこれ理由などつけないで生きて死ねばいいように思いました。そのためにはあと先き考えないで、僕の場合なら、できるだけ健康で、死ぬぎりぎりまで絵が描けたら、それでもう言うことなしです。肉体から離脱した魂もあとは運まかせというか宿命まかせですね。だけど痛いとか苦しいのはいやですが、こんな肉体的苦痛は逆に生の時代の厄介な問題を全部帖(ちょ)消(うけ)しにしてくれるんじゃないでしょうか。まだ、そんな瞬間に遭遇してないので何とも言えませんが。

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