印象深い日本選手の「異名」
「日本代表戦」として呼び起こされる僕の1番古い記憶といえば、まだJリーグ発足前の1992年のこと、ハンス・オフト監督率いるサッカー日本代表が果たしたダイナスティカップ(今は東アジアサッカー選手権)優勝でしょう。そして、同年のAFCアジアカップ広島大会。背番号20を背負い、まだ国見高校を卒業したてかのような坊主頭の高木琢也が決めたあまりにも美しいシュートの記憶ーー、教科書通りの絶妙な胸トラップから左足で振りぬいたボールがゴール右隅に吸い込まれるシーン。
高木琢也の異名も大好きでした。「アジアの大砲」――くぅ〜!痺れますね。
当時、小学6年生の僕はこういう“二つ名”にも心躍らせていたんだと思います。
井原正巳であれば「アジアの壁」――カッコいい〜!
そう言えば、いつからか日本人選手を表す二つ名から、「アジアの」というフレーズは外れましたね。多くの選手が世界で活躍しているので、アジアの肩書きでは収まりきらなくなりました。素晴らしいことです。
久しぶりに、日本人選手の持つ異名について、どんなものがあっただろうかと、調べてみると……柱谷哲二の「闘将」。これまた懐かしい。今でも僕にとってキャプテンといえば、それは永遠に柱谷です。柱が付いてるねんからそりゃキャプテンを任される運命ですね。
あとは北澤豪の「中盤のダイナモ」。このダイナモって響き好きやったなぁ。
それから長谷川健太の「ケンタ」。って、いやそれは異名ちゃうやろ!フライドチキンみたいに言うな!!これだからAIは!
母親も思わず叫んだ「ドーハの悲劇」
そして翌年の1993年5月にはJリーグが開幕。同年10月、カタールのドーハで開催されたのが、アメリカワールドカップのアジア最終予選でした。