タリバンの攻勢によるカブール陥落を受けて、日本政府が行ったアフガニスタンへの自衛隊派遣は、実は保護すべき邦人がいない、いても数名でしかないことが事前にわかっていたミッションだった。しかも、米・NATO(北大西洋条約機構)軍が史上最大の撤退作戦を行っている中への自衛隊派遣が、超法規・超憲法的措置であったことは間違いない。
それでもなお、このミッションはなぜ行われなければならなかったのか。私は外務省や防衛省、国会議員に対して派遣の意見具申をした者として、その理由と経緯を明らかにしておきたいと思う。
軍閥「武装解除」を指揮
そもそも私とアフガニスタンとの関わりは、2003年に遡る。この年、日本政府特別代表としてアフガンに赴き、日本が主導国となったDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)事業を陣頭指揮することになったのだ。2001年から翌年にかけて、国際連合事務総長副特別代表上級顧問兼DDR部長として、内戦後のシエラレオネに派遣された実績があったからだろう。
このDDR事業は、日本にとっての看板プロジェクトだった。2001年の「9・11」後、アメリカと有志国連合は、「アル・カイダ」を匿っているとしてアフガニスタンを軍事攻撃し、年末にはタリバン政権を崩壊させた。その後も米軍やNATO軍は部隊を駐留させ続け、米軍は残敵の掃討作戦を、NATO軍はPRT(Provincial Reconstruction Team=地方復興チーム)を編成して、新政権の法治を普及するために各地方に展開し、住民との信頼醸成を図ることになる。……