私たちの日常は、幸いなことに、極限の体験からは遠いところにある。生死を左右する一瞬の判断を繰り返し迫られるような状況は、めったに発生しない。どちらにせよ、ロシアンルーレットのピストルが耳元でカチッと音を立て続けるような、毎日がそんな生活だったらとても精神がもたない。もしかするとウクライナでは、今もそうした日々を生きている人たちがいるかもしれないが、私たちの想像力はあまりにも乏しく、その恐怖は私たちの恐怖として感じることができないのが現実だ。
『沈黙の勇者たち ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い』(岡典子著)は、まさにこうした極限の日々を生きた人々の物語である。ヒトラーの足元のドイツで何年も潜伏を続けたユダヤ人と、彼らが生き延びられるように助けた多くのドイツ人の闘いの記録だ。
1941年秋よりドイツ内からユダヤ人の東方移送、つまり死への移送が始まり、1945年5月にドイツが降伏するまで約3年半あった。この間、1943年6月19日にベルリン大管区指導者ゲッベルスは、帝国の首都を「ユダヤ人不在(ユーデンフライ)」と宣言している。つまり国内にいるユダヤ人は存在してはならない人間であり、それが本書の扱う「潜伏ユダヤ人」である。そして彼らの潜伏生活には、無数のドイツ人の「救援者」が関与していた。本書は、両者が出会い、信頼関係を築き、共闘するさまを、いくつかの具体例を並行させながら丹念に描く。ホロコースト関連の本は少なくない日本だが、ドイツ内の潜伏ユダヤ人と、そのドイツ人救援者に焦点を当てるものとしては国内初の本である。
もちろん、これまでも潜伏して生き延びたユダヤ人についてはある程度知られていた。彼らが少なからず自伝を出版しているために、彼らの背後には援助者の存在があったことも知られていた。しかし、両者の具体的な関係性はなかなか見えてこなかった。なぜなら、こうやって生き延びた者たちはそれほど多くはなかったし、戦後に救援者が自分たちの行いについて語ることはほとんどなかったからである。また600万人のユダヤ人の死というあまりにも重い事実の前では、「善きドイツ人」について語ることさえ躊躇された。このため救援者に関する研究がドイツで本格化するのは1990年代に入ってからである。ただし本書が指摘するように、現在では教育的観点からも、「市民的勇気」の体現者として彼らの認知は広まっている。……