カルチャー

アスター子爵家

2023年2月11日


<span>アスター子爵家</span>
ウォルドルフ(左)とナンシー(右)の2代アスター子爵夫妻。カズオ・イシグロ『日の名残り』のモデルとされる

アメリカ文化を厭ってイギリスに渡り受爵した大富豪は、ある意味ではイギリス人以上に、政治や公共福祉分野で貴族としての責務を果たした。カズオ・イシグロが『日の名残り』で描いた「ダーリントン伯爵」モデルのひとつ、アスター子爵家の来歴。【新潮選書『貴族とは何か』刊行記念スピンオフ企画第6回】

アメリカの大富豪に生まれて

「ウィンストン! もしあなたが私の夫だったら、あなたのコーヒーに毒を入れてやるわ!」

「ナンシー! もし私があなたの夫だったら、迷わずそれを飲むね!」――

 このすさまじい会話は、さる貴族の豪邸の朝食の席で繰り広げられたものとされている。しかし実際にはこれはよくできた「作り話」とも言われる。会話の主は、のちのイギリスの大宰相ウィンストン・チャーチルと、この館の女主(ホステス)であるナンシー・アスター。かの言葉の達人チャーチルを向こうに回し、これだけの会話を交わせるような「女傑」を生み出した「アスター子爵(Viscount Astor)」家とは、いったいどのような貴族だったのだろうか。

 実はアスター家の開祖はアメリカ人だった。ドイツから合衆国へと移民した一族の先祖が、ジョン・ジェイコブ(1822~1890)の時代に不動産投資と開発で巨万の富を得た。そのひとり息子がウィリアム・ウォルドルフ(1848~1919)。父の事業を手伝い、現在もニューヨーク屈指の最高級ホテルとして君臨する「ウォルドルフ・アストリア」の基盤を築く傍ら、連邦上院議員やイタリア公使なども務めた彼は、1890年に父が亡くなると、なんと1億ドルを超える巨額の遺産を受け継いだ。……

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