亀戸から麹町小学校に越境入学
私の中学受験の話は、都心の小学校に越境入学したところから始まります。
生まれ育ったのは東京・葛飾区の亀有。父は企業勤務、母親は専門学校の教師という家庭で、母親が教育熱心だったことから地元を離れて千代田区の麹町小学校に通うことになったのです。当時は都立日比谷高校から東大に毎年100人ぐらい合格している時代で、母はそれを意識して日比谷高校に近い麹町小学校に僕を入れたということです。
当然のことながら、電車を乗り継いでの通学ということになります。今振り返ると小学校1年生の子どもにとっては、かなり大変なことですが、当時はそれが特別なことだとは思っていませんでした。亀有から、常磐線に乗って上野を通り、秋葉原まで行き、そこから総武線に乗り換え、四ツ谷駅で降りて小学校まで歩いていました。ドア・ツー・ドアで一時間ほど。当時は地下鉄有楽町線などというものは走っておらず、麴町駅もなかったのです。
麹町小学校というところは、いわゆる普通の公立小学校とは少し違う雰囲気があって、私のように越境して通ってくる子どもが多かった。教育に対する意識の高い家庭の子が多く、何より特徴的だったのは、多数が中学受験をするということです。むしろ、受験をしないほうが少数派でした。
そうした環境の中に身を置いていたため、私はごく自然に中学受験というものの存在を受け入れていたと思います。ただし、当初から強い目的意識を持っていたわけではありません。子どもですから、日々の生活の中では楽しいことに目が向いていました。当時の私は、いろいろな習い事をしていて、ピアノ、絵画、書道などに加えて、月曜日から金曜日まで亀有の学習塾にも通っていた。今思えばかなり忙しい生活でしたが、自分にとってはそれが当たり前。当時の日常を振り返ると、学校から亀有に戻ると駅で母親が待っている。そこで塾の道具とかお習字の道具を持たされて、代わりにランドセルを母親に渡す。すると、街の店でラーメンとか餃子を食べさせてくれたものです。あの頃を思い出すと、勉強の合間のそうしたささやかな楽しみが印象に残っています。
楽しみといえば、上野駅でよく十円の新聞を買っていました。「東京スポーツ」です。子どもにとっては妙な記事ばかり載っていましたが、それを読みながら帰るのが好きだった。プロレスの記事を見て、「今日は本郷は勝ったかな」などと確認する。マイナーな存在でしたが、本郷という気になるプロレスラーがいたのです(註・全日本プロレスの本郷篤)。東スポの最後のページには、今では考えられませんが、「キーストン特約」という変なコーナーがあって、きれいなお姉さんのヌード写真も載っていた。そんなものをチラチラ見ながら、一緒に買ったボンタンアメをなめながら帰る。そんな毎日でした。
しかし、この頃すでに、私はある重要なことを感じ取っていました。それは、人にはそれぞれ持って生まれた才能があるということです。同じクラスにキンバラ君という子がいて、彼の描くウルトラセブンの絵がとんでもなくうまかった。まるで生きているように描くのです。私は彼の絵を一生懸命真似て描いていましたが、どうしても同じにはならない。勉強はまったくできない子だったのに、絵は誰よりも上手い。ああ、人には生まれつきの得意不得意があるのだなと、小学生ながらに思い知らされたものです。努力しても埋まらない差があるという現実を、子どもなりに理解した最初の経験だった。この時、私は人の「才能」というものを初めて意識したのです。
人生を変えた家族旅行と四谷大塚
そんな私に、小学校3年から4年にかけて、その後の人生を変える大きな出来事があります。ひとつは4年生になる前の春休みに両親に京都・奈良に連れて行ってもらったことです。その中でのバスツアーでしたが、京都・広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像や薬師寺の東塔などを訪れる機会があった。そこで私は心を大きく揺さぶられたのです。なかでも天平時代や貞観時代の仏像は、現代に生きる自分たちにもダイレクトに伝わってくる美しさで、あまりに長く見入ってしまっていたため、バスが私を置いて先に行ってしまったほどです。小学生ながらに「歴史の勉強をきちんとやりたい」と思うようになったのは、これがきっかけでした。
もうひとつは、四谷大塚という進学塾に入ったことです。当時、進学塾の大手は四谷大塚のほかに日進研という老舗があって、この二つが張り合っていた。四谷大塚は日進より先に生徒を集めるために、小学校4年生から入塾テストを始めていたのです。
テストは4年生の3学期になる前ぐらいの冬の寒い日でした。母親が突然、「ちょっとカズちゃんいらっしゃい」と言って四谷大塚の選抜試験に連れてゆかれました。今でもよく覚えていますが、三田の慶応大学が試験会場です。それまでの私は、受験というものに対してどこか他人事のような感覚を持っていました。
しかし、会場で見た光景に、強い衝撃を受ける。子どもが大勢集まって試験を受けるなどという経験をしたことがなかったからです。広い教室に子どもたちがいて、一斉に問題を解いている。その緊張感に圧倒されて気分が悪くなり、理科の試験の途中で吐いてしまったのです。バイトらしい大学生のお兄さんが親切に世話をしてくれて、「このまま帰る? それとも戻る?」と聞かれましたが、私は「戻ります」と言って試験を受け直した。当然、理科はゼロ点ですが、結果は、合格者六百人のうち四百番台。ぎりぎりの合格でした。それでも、この出来事をきっかけに、私の中学受験への取り組みは本格的に始まることになります。