カルチャー

スサノヲ篇(9)国名変遷が物語るスサノヲの存在

2022年5月3日

かつて大陸で「倭」と呼ばれた国が、自ら「日本」を国号にした理由――中国や日本の史料からは、東の「日本」が西の「倭」を併呑した、という流れが浮かぶ。同時にそれは、新たな時代を切り開こうとしたスサノヲの神話と合致するのだ。

国号の謎と建国神話、そしてスサノヲの行状が重なり合う(月岡芳年『日本略史 素戔嗚尊』)

 スサノヲは出雲出身ではなく、弥生時代後期にタニハ(但馬、丹波、丹後、若狭)から出雲に乗り込んできたと、前回述べた。スサノヲは東の潜在能力を引き出し、西側からの圧力をかわし、新たな時代を切り開こうとしていたのではなかったか……。

「日本」国号は中国を意識していたのか?

 今回はこの仮説を、別の視点で解き明かしてみたい。まずは、「日本という国名」にまつわる話だ。意外な形で東西日本の葛藤の痕跡が浮かび上がってくる。

 世界の国名は、「地名」「地形」「民族名」「人名」「部族名」「王家の名」に由来することが多い。ところが「日本」は、そのどれにも当てはまらないし、誰が名付けたのか、由来はどこにあるのかさえも、正確にはわかっていない。

 また、「日本」と定まる以前、数多の国名が登場した。「大八洲[おおやしま]」「葦原中国[あしはらなかつくに]」「敷島」「秋津島」「倭」「ヤマト(大和)」などだ。中国の歴代王朝は、もっぱら「倭」と呼んだ。……

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