カルチャー

スサノヲ篇(15)藤原氏に隠蔽された「スサノヲ」と「蘇我氏」

2023年1月15日

高さ100メートルともされ、想像を絶する規模を誇った出雲大社だが、仔細に調べると、『日本書紀』編纂後に建てられた可能性が高い。そこからは、時の権力者藤原氏が、スサノヲや蘇我氏のヤマト政権への功績を矮小化し隠滅しようとした意志が見て取れる。

出雲大社境内から発掘された、巨大な木柱の模型(筆者撮影、以下同)

 出雲は神話と歴史時代に、何度もいじめられていた。だから『日本書紀』は、その祟りが恐ろしくて、巨大な社殿を建てたと記録する。

 とは言っても、出雲を神話の主役に据えた意図が、見えてこない。現実には、多くの地域がヤマト建国に携わり、そのあと起きた主導権争いで、日本海側の奴国[なこく](福岡市)やタニハ(但馬、丹波、丹後、若狭)は痛い目に遭って衰退している。出雲だけが栄え、滅びたわけではない。

なぜ出雲大社の本殿は巨大なのか

 そこでまず、出雲大社に注目してみよう。今でも本殿は巨大だが、以前はもっと大きかったようなのだ。

 平成12(2000)年に、出雲大社境内から13世紀半ばの巨大木柱(中心の心御柱[しんのみはしら]と宇豆柱[うずばしら])がみつかっている。直径125~140センチの杉の巨木を3本まとめ、金輪[かなわ]で束にしていた。……

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