<span>不透明な世界を消去する「アルゴリズム的リアリズム」の危うさ</span>
Eugene_Photo/Shutterstock.com

アルゴリズムは現実それ自体を生成する――。そう言えば何をバカなことを言っているのか、と指摘されるかもしれない。しかし、現実はすでにアルゴリズムに浸食され、アルゴリズム的リアリズムは世界を自動化し、私たちの内面をショートカットしている。そのことでもたらされるのは何か。「速さ」である。

アーキテクチャから予測アルゴリズムへ

 法学者のローレンス・レッシグは著書『CODE』(翔泳社)の中で、ネット環境におけるアーキテクチャという不透明な規制手段の台頭と、それが個人の「自由」に対して脅威になりうる可能性に警鐘を鳴らした。『CODE』の原書は1999年に刊行(邦訳書は2001年刊行)されているが、レッシグの議論は法学の分野を超え、ゼロ年代(2000年代)の日本においても広く影響力を持った。とりわけ社会学者、なかでも情報社会論者の間でアーキテクチャ論は盛んに議論の対象となり、やがて独自の文脈を帯びるようになった。

 アーキテクチャ論の日本における受容過程について、紙幅の関係もあり、ここでは深く立ち入らないが、代表的な例として、批評家の東浩紀が2002年から連載を開始した「情報自由論」を挙げることができる。その中で東は、ミシェル・フーコーが提起した規律訓練型権力の次に来る権力のあり方として、レッシグのアーキテクチャ概念を参照しながら、それを「環境管理型権力」として再構成してみせた。

 東によれば、環境管理型権力は人間の「内面」を必要としない。それはアーキテクチャを通じて物理的に機能するので、対象の人間が何を考えていようと関係ない。環境管理型権力は、人間を人間として(考える存在として)扱わない、人々の意識的な判断以前の部分で作用するがゆえに、秩序維持に適合的な狡猾な権力として立ち現れる。

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