<span>「人間の終焉」に至らぬために――「速さ」の対義語に関する考察</span>
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私たちが住む世界は今後ますます加速していくだろう。人間のありようを根本から変えてしまう加速化に抗うのなら、「遅さ」を求めるべきなのだろうか。否、その「速さ」は違う何かを表象しているだけなのかもしれない。そうだとすれば、この「速さ」に抗うためのヒントは自ずと見えてくる。

「人間の条件」の根本的な再編成

世界は日増しに速くなっている。そのことは、アルゴリズムの浸透が、「システム1」、すなわち人間に備わった自動的な思考処理システムを際限なくドライブさせることと決して無関係ではない。

 アルゴリズムは私たちの「システム1」に寄生する。たとえば、ショート動画の隆盛。ショート動画は、スワイプによる瞬時の反応と感情を自動的に引き出すプロセスをほぼ無意識的にサイクルさせるという点で「システム1」と適合的である。「システム1」は、人間のアテンションや感情を瞬間的に捕捉する、自動再生と無限スクロールによって選択コストが最小化された消費様式、すなわちアテンション・エコノミーに引き寄せられる。かくして、人々はドーパミン中毒となり、ドーパミン駆動型社会が立ち現れる。

 さしあたり、「システム1」を速くて自動的な判断/思考、「システム2」を遅くて意識的な判断/思考、と乱暴にまとめることもできるが、近年のSNSやショート動画を含めたインターネット環境は明らかに「システム1」に最適化されている。もっと言えば、アルゴリズムが個々人の「システム1」をハックすることで、一握りのテック企業が莫大な利益を得ている——そうしたアテンション・エコノミーと監視資本主義の実験場と化しているのだ。
 

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