政治

「孤高の外政家」高村正彦が見せた力量――官僚主導から政治主導の30年を振り返る

2024年7月12日


<span>「孤高の外政家」高村正彦が見せた力量――官僚主導から政治主導の30年を振り返る</span>

 外相、自民党副総裁として長らく外政・安全保障分野を中心に活躍した高村正彦氏のオーラルヒストリー『冷戦後の日本外交』(新潮選書)が発売され、話題を呼んでいる。聞き手の一人を務めた兼原信克・同志社大学特別客員教授(元内閣官房副長官補、国家安全保障局次長)が、官僚主導から政治主導に切り替わった日本政治の30年を振り返り、高村氏が「孤高の外政家」として果たした役割を考察した。

***

官僚主導政治の時代

 40年前、外務省に入りたてのころ、G7(主要7ヵ国)首脳会合を担当した。上司からの指示は、「各議題で日本の総理をトップバッターで発言させてもらえ」というものだった。どうしてですかといぶかしがる私に、上司は呆れ顔で「議論についていけないからだよっ」と吐き捨てた。それが当時の日本外交の実力だった。首脳会談では、往々にして日本の首脳は、御付きの外務省高官が差し出すメモを読み上げるのが精一杯だった。森の散策では、各国首脳に交じって外務省高官が談笑しながら歩き、英語に不自由な日本の総理がとぼとぼと後をついて歩くことさえあった。

 安倍晋三総理や、岸田文雄総理が見事にG7議長として采配を振るわれた今日からは、到底、想像もできない時代であった。しかし、これが官僚主導時代の日本外交の姿である。当時、与党自民党の議員は、霞が関(官界)のことを政府と呼び、永田町(政界)の方を与党と呼んだ。行政府のトップの閣僚席を与党議員で独占していながら、まるで自分たちが政府の一員ではないかのようだった。国会対策を担当していた先輩は、「国会議員は、国会に呼びつけて罵倒できる各省庁の局長ではなく、姿も見えないままに霞が関の奥の院に巣食っている課長の群れこそ、政府の本体だと思っている」と述べていた。今では考えられないことだが、かつての官僚全盛時代には、官界の主導権は各省庁の課長クラスが担っていた。……

おすすめの記事

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

おすすめの動画

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

ニュースレターを購読する

新潮QUEは、私たちが「問う力」を養っていくためのサブスクリプションサービスです。

無料登録する