<span>戦略的意思決定を支える経営者の「教養」はAI時代も変わらない</span>
リベラルアーツとは「自由の技法」(PJ photography/shutterstock.com)

今やメールの添削やスケジュール管理、アイデアの壁打ちなどの日常業務を生成AIに委ねるのは特別なことではなくなった。競争戦略を専門とする経営学者で一橋大学特任教授を務める楠木建氏は、「AIがいくら進化しようと、経営者に求められる教養は変わらない」と話す。AI依存の時代にも変わらない経営者の役割と、「教養」の本質について聞いた。

経営者にとっての「教養」とは何か

 教養という言葉の定義の中に答えがあります。「教養がある人」というと、博学な人、いろんなことをよく知っている人というイメージを持つ方が多いかもしれません。しかし、知識が豊富であることは、教養とはまた別の話です。

 そもそも教養という日本語は、明治時代に西洋の概念を翻訳するなかで生まれた言葉で、もともとの言葉はリベラルアーツです。リベラルアーツを直訳すれば「自由の技法」。その対になる概念が、テクニカルアーツ。つまり技術やスキルです。

 なぜ「自由の技法」なのか。ローマ時代の奴隷制社会を思い浮かべてみてください。ローマの奴隷の中には、特定の技術を持ち、主人のために働く人々も多くいました。奴隷というと鞭で打たれる悲惨なイメージがありますが、実際には賃金をもらって独立した家計を営む存在でもありました。ただ、彼らには一つだけ持てなかったものがありました。自分に固有の価値基準です。

 何が良いことで、何が悪いことか。どんな世の中が望ましくて、何を選ぶべきか――。こうした価値の基準はすべてご主人様のものであり、奴隷の役割はその判断を実行するテクニカルアーツを提供することに限定されていた。一方、自由市民は自ら「価値の基準」を定立することができた。これこそがリベラルアーツ、すなわち教養の本質なのです。

 つまり教養とは、知識の量ではなく、いろんなことを考え、行動し、経験を積み重ねた末にその人の中に立ち現れる、固有の価値基準のことを意味しています。

おすすめの記事

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

おすすめの動画

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

ニュースレターを購読する

新潮QUEは、私たちが「問う力」を養っていくためのサブスクリプションサービスです。

無料登録する