政治

アフガニスタン「敗戦」の検証(2)「タリバン抜き」で始まり「タリバンとの和平」に終わったアメリカ平和構築の必然的迷走

2021年8月26日

「アフガニスタンはパシュトゥーン人でなければ統治できない」――アメリカによる平和構築のプロセスを振り返れば、この「仮説」が国家建設の枠組みを決定的に歪めていた。2001年ボン合意から2020年ドーハ合意までの迷走の根源を探る。

「アメリカはアフガニスタンについて無知で傲慢だから失敗した」と言われる。そうかもしれない。だが、それは具体的な政策レベルでは、何を意味しているだろうか。アフガニスタン平和構築の枠組みに沿って考えてみたい。

タリバン不在のまま締結された和平合意

 アフガニスタンの平和構築の枠組みを語るときに、ほぼ定説になってきているのが、「ボン合意の不適切さ」である。

 ボン合意とは、2001年にアメリカの攻撃によってタリバン政権が崩壊した直後に、アフガニスタンの国家再建の枠組みを定めるためにドイツで開催された会議の合意文書のことだ。新たなアフガニスタン政府の形成の道筋を定めたボン合意は、結果的に「ボン・プロセス」と呼ばれたボン合意履行期間を越えて、アフガニスタンの国家建設の枠組みを決定し続けた。

 今日の国際社会主導の紛争解決においては、紛争当事者が調印する和平合意の締結を通じて、その後の平和構築の枠組みを決めていくことが標準的なやり方だとみなされている。アフガニスタンの場合に、和平合意に相当する機能を果たしたのがボン合意であった。……

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