特集 > 社会 > ライフ

Vol. 6

激増する「教養としての○○」 巻き起こる令和の「柔らかな教養」ブームは我々に何をもたらすのか

2026年5月21日


<span>激増する「教養としての○○」 巻き起こる令和の「柔らかな教養」ブームは我々に何をもたらすのか</span>
「教養としての○○」と題した本が急増している 写真:JACKREZNOR/shutterstock.com

近年、「教養としての○○」と題した本が急増している。AIですぐに答えが得られる時代に教養ブームが起こるとは不可思議だが、その背景には現代社会の在り方が深く関係しているのだという。令和における「教養」は何を意味し、どのような意義を持っているのか。ベストセラー『教養主義の没落』を上梓した京都大学名誉教授の竹内洋氏に聞いた。

大正・昭和から平成・令和の間に「教養」はどう変わったか

 ここ数年、本屋で「教養」というワードを目にすることが増えました。気になって国会図書館のデータベースで調べてみたところ、「教養としての」と冠を付けた書籍が2019年ごろから急激に増加しているのです。元々こうした本は年間数冊程度だったのですが、2019年以降は年間30冊を超えるような状況になっています。

 AIに聞けばなんでも答えてくれるこの時代に「教養」が注目を浴びるのは不思議な気がします。何故、いま「教養ブーム」が起こっているのか。まず押さえておかなければならないのは、そもそも「教養」という言葉の意味するものがかつてと今では少し異なってきているということです。

 戦前・戦後において一貫して「教養」はインテリや大学生を主体とした知的エリート層のものでした。そこには、象徴的暴力としての側面もあった。つまりは “マウント”です。「お前教養がないね」と言われてシュンとした経験が私にもあります。こうした権威主義的で「堅い」教養主義に対する反感が全共闘運動と結びつき、反教養主義・反知性主義が台頭してきたのが1970年前後のことでした。

 その後ほどなく全共闘運動は鎮火し、反教養主義と呼ばれるような激しい反発はなくなりますが、平成前後から「教養」を茶化すような雰囲気が生まれてきた。「教養がない」と言われても「ええ、今日用がないんだ」と言って教養主義をキャンセルしてしまう。ここで、教養主義でも反教養主義でもない状態、いわば教養に対する更地のような状況が生まれました。

 その更地の上に登場したのが自己啓発としての教養です。ここでかつての“エリートのための教養”が、仕事や生活の役に立つ“大衆のための教養”へと変化しました。自己啓発としての教養の登場は、ほどなく“すぐに役に立つ”直截的な教養だけで良いのだろうかという疑問を生みます。ここから、今日見られる味わい嗜むような、言わば「柔らかな教養」が生まれてきたのです。

 かつての「堅い教養」が“ひけらかす教養”のきらいがあったとしたら、今の「柔らかな教養」は“わかる教養”です。いまの「教養としての○○」と題した本に、“古典を読まなければならない”といった堅苦しさはありません。現在の「柔らかな教養」は、文庫や新書、入門書、ハウツー本といった形で、元々あった教養の大衆化という流れの延長線上にあるのです。

教養ブームの背景にあるもの

おすすめの記事

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

おすすめの動画

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

ニュースレターを購読する

新潮QUEは、私たちが「問う力」を養っていくためのサブスクリプションサービスです。

無料登録する