税制担当への着任と租税法定主義の洗礼
私が自民党事務局に入ったのは1960年で、税制担当に任命されたのは1972~73年頃のことでした。それまでは郵政や水産など各種部会を担当しており、税については何も勉強していませんでした。当時の税調会長は元大蔵官僚で管財局長まで務めた内田常雄さんです。挨拶に訪れると、内田さんから「君はどんなキャリアだ?」と尋ねられました。「税について何も知らない」と正直に答えると、苦笑しながら「大変な奴が来たな」と漏らしておられましたよ。
内田さんはその後、三木内閣(1974年~1976年)で幹事長を務められましたが、選挙の際に地方議員や県連からお金を求められても「俺にカネなんて作れないよ」と電話にも出なかったという逸話が残っています。田中角栄内閣(1972年~1974年)と違い自民党にお金がない時代、大変苦労された方でした。
内田さんが常に強調していたのは、「税制は法律によって国民に負担を求めるものであり、国会審議を経なければならない」という原則でした。だからこそ、党が政治的な責任を持たなければならない。単に行政官庁に任せておけば良いという問題ではない――租税法定主義に立脚したこの考え方に、私は深く感銘を受け、税制のお手伝いを始めることになりました。
山中貞則という巨人――厳格さと信念の人
当時、党税調で長く副会長を務めていた山中貞則さん(編集部註 1921~2004年)は、すでに税制に関して一番の専門家でした。佐藤栄作内閣(1964~1972年)の頃、山中さんは税調幹部会の会議中に組閣本部からお呼び出しがありました。山中さんは通産大臣の拝命を期待していましたが、佐藤総理からは本土復帰したばかりの沖縄開発庁長官への就任を要請されました。……