政治

減点されない宰相、高市早苗の「未熟さ」という政治資源

2026年4月3日


<span>減点されない宰相、高市早苗の「未熟さ」という政治資源</span>

社会学者・周東美材は、近代日本のポピュラー音楽文化の特徴に「未熟さ」の愛好を挙げている。時に弱さにさえ共感しながら「推し」ていく高市支持も、やはり一連のエンタメショーと言えるのではないか。加点方式で宰相を見守る「高市劇場」は、現在の有権者が持つ認知の「癖」を示唆している。

 高市早苗氏に関して私がいつも思い出すのはある敗北の風景である。それは2024年9月の自民党総裁選挙、決選投票を前にした演説だった。彼女が小泉進次郎氏に勝利した2025年の総裁選ではなく、石破茂氏に敗北した2024年のあの総裁選である。

 岸田文雄総理総裁の任期満了に伴うこの選挙では、実に九人の候補者が立候補した。前年12月には主に旧安倍派を中心としたいわゆる「裏金」疑惑が表面化し、内閣支持率は低迷、各種選挙でも与党の苦戦が続く中、岸田氏は総裁として派閥解消の方針を打ち出した。これに応じて複数の有力派閥が解散し、派内の調整が機能しなかったことが、候補者の「乱立」につながったわけである。乱立は議員票の分散につながり、地方の党員党友票の重要性が相対的に高まった。議員票では一位だった小泉進次郎氏が決選投票に残れず、党員党友票を多く獲得した石破氏と高市氏が残ったのもそれゆえだった。ちなみに決選投票に先立つ一回目投票の得票数で勝っていたのは高市氏である。彼女はこの時、総裁の椅子に、ほぼ手をかけていたと言ってよい。

 だが、総裁の座をつかんだのは高市氏ではなく、石破氏だった。議員票の比重が大きい決選投票での各議員の投票行動は必ずしも明らかではないが、投票前の演説の出来不出来は明らかだった。決戦投票候補者に割り当てられた5分間の演説――しかも2分間ほど超過したのだが――のパフォーマンスは惨憺たるものだった。彼女は湧き上がる高揚感をコントロールすることができずに、まるで酔っ払ったかのように見え、論旨は混乱し終始しどろもどろに見えた。この演説では勝てるものも勝てない。ネットで視聴しながら、筆者自身そのように思ったことをよく覚えている。一言でいえば、そこに表れていたのは高市氏の「未熟さ」であったように思われる。それに比べれば、石破茂氏の方が政党政治家としてはるかに熟練して見えた。

「未熟さ」を矯正しなかった高市氏、「封印」した小泉氏 

 そのほぼ一年後、彼女は念願の座を手に入れる。あのとき、彼女に代わって総裁の座についた石破茂氏は、総理就任直後に衆院の解散総選挙に打って出て敗北し、さらに翌2025年の参議院通常選挙でも大敗を喫する。党内では「石破おろし」が加速し、はやくも彼女にお鉢が回ってきたのである。

 興味深いのは、一年を経て彼女の「未熟さ」が影を潜め、成熟した政治家に成長したという展開が訪れなかったことだろう。反対に、成熟への志向は受け入れられなかったように見える。今回の総裁選も当初の本命は、前回もそうだったように、小泉氏だった。その年齢から、同様に「未熟」な政治家と見なされがちだった彼は、再度の総裁選に臨むにあたり、周囲をベテラン政治家で固め、彼らの振り付けに沿って「安全運転」に終始したように見えた。高市氏と二人が残った決選投票での小泉氏の演説は、可も無く不可も無くという無難なものだった。「未熟さ」と裏腹の関係にある当意即妙なやりとりや言い回し――しばしば「小泉構文」と呼ばれた――を封印してみせたのである。だが、勝利の女神は、成熟を目指した小泉の側ではなく、「未熟さ」を矯正しなかった高市氏の方に微笑んだ。「働いて」を五回連呼する彼女の勝利演説は早速物議を醸した。台湾有事をめぐる彼女の発言も、ドナルド・トランプ来日また彼女自身の訪米時の振る舞いにも、その効果の是非に議論の余地こそあれ、およそ成熟した振る舞いとは言いがたい部分が含まれていたことは否めない。高市早苗はいうなれば今なお「未熟」の宰相なのである。……

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