『現実主義者の平和論』に衝撃を受ける
私が高坂先生の著作にはじめて触れたのは大学生の時でした。当時はまだ学生運動が盛んな頃で、授業のはじめに活動家がやって来てはアジ演説をぶつような、非常にリベラル的な雰囲気が強い時代です。
論壇やマスコミも左傾化する中、1963年に発表されたのが高坂先生の『現実主義者の平和論』でした。私が大学2年生のときです。世の中を覆う平和主義や理想主義に対して現実主義者の立場からアンチテーゼを示した内容は非常に斬新で、私も強い衝撃を受けました。しかも、この論考を発表したのは高坂先生が28歳の時です。私とそう年も離れていない若さで、こうした議論を提示できることにも驚いたのを覚えています。
私が所属していた東京大学の読書会「土曜会」でも、高坂先生の論考は衝撃をもって受け止められていました。そうしたこともあり、ある時、五月祭(東大の学園祭)の講演会に高坂先生をお呼びすることになったのです。世間のリベラルな雰囲気もあって、高坂先生を呼んだことでデモが仕掛けられたりするのではないかと、当時はヒヤヒヤしました。
しかし、そうした心配をよそに講演の内容は充実していました。良い悪いは別にして、国際社会の中で力が大きな意味を持っているということを冷静に見つめなければならず、それにどう対応するか、あるいは自分たちにどういった力をつけるべきかを考える必要がある、とまさに今にも通じるお話をされていました。
とはいえ、「力」の話だけで終わらないのが高坂先生です。先生は「力だけでなく、国民的なコンセンサスを得た目標を国家として形作っていく必要がある」と付け加えられたのです。
私にはこの言葉が引っ掛かった。講演の後、質問をする機会があったので、そこで「国民的目標とは具体的には何か」と先生に聞いてみたんです。すると、「国際社会における日本の立ち位置をどのようなものにするのか、それが国民的目標の一つの目安である」と答えられました。
講演会に呼ばれると、私はいまでも「日本の国際社会における立ち位置をどうするのか、国民全員が考える必要がある」と言い続けています。実はこの言葉は高坂先生から学んだものなのです。