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強いアメリカが「終わり方」を見失うのはなぜか――イラン戦争にみる「作戦術」の欠如

2026年5月22日


<span>強いアメリカが「終わり方」を見失うのはなぜか――イラン戦争にみる「作戦術」の欠如</span>
問題は軍事行動をどのような政治的終結へ接続するかにある[イランでの“ガソリン代に跳ね返る500億ドルの戦争”を批判する看板=2026年5月21日、アメリカ・フロリダ州パームビーチ](C)ZUMA Press Wire via Reuters Connect

将棋は「どのような形で相手玉を追い込み、どこで詰ませるのか」という全体構想が勝負を決める。これにはある方法論が必要だ。個々の駒を取る、つまり戦術的成功を戦略的成果へと転換する方法論を、軍事では「作戦術」と呼んでいる。イラン戦争における米国には、この作戦術が欠けている。不確実性の中で結末を構想するための「知的態度」を軍事理論から問い直す。

重要なのは「個々の戦闘の勝敗」ではない

 歴史的に見て戦争とは、なぜ終わらないのだろうか。また、なぜなかなか終わらないのだろうか。2022年2月24日に、ロシアの侵攻で始まったウクライナ戦争は、先行きが見えない。本稿で論ずる、イラン戦争も然りである。

 2026年2月28日に開始された米国・イスラエルによる対イラン軍事作戦、つまりイラン戦争は、いまや「どのように戦うか」ではなく、「どのように終わるのか」が問われる段階に入っている。執筆時点(2026年5月22日)の段階でも、停戦としているものの、散発的な武力衝突は続いている。

 米国軍は圧倒的な軍事力を有している。空母打撃群、長距離精密打撃、ステルス機、衛星・情報監視能力など、戦術・術科/技術レベルでは世界最強であることに疑いはない。しかし、軍事的優勢がそのまま戦争終結に結び付くとは限らない。むしろ現代戦争では、強い側ほど「終わり方」を見失うことがある

 クラウゼヴィッツが述べたように、戦争は政治の延長である。したがって、その終わり方もまた政治によって規定される。重要なのは、個々の戦闘の勝敗ではない。軍事行動をどのような政治的終結へ接続するのか、という問題である。

 筆者は以前、伊藤忠総研のコラム「イラン戦争はどのように終わるのか―戦略・作戦・終結設計からの考察」(2026年4月7日)で、イラン戦争における「終結設計」の重要性について論じた。本稿ではさらに、その背景にある「作戦術(Operational Art、オペレーショナル・アート)」という視点から、現在のイラン情勢とこれから、を考えてみたい。

組織は「作戦術」がなければ漂流する

 戦争・戦略を分析する際、筆者は五つのレベルを用いている。すなわち、政略、戦略、作戦、戦術、そして術科/技術の五つである。

 政略レベルとは、国家として何を実現したいのかという最上位の政治目的である。戦略レベルとは、その国家目的を達成するため軍事力を含む国家資源をどのように用いるかという構想である。作戦レベルとは、複数の戦闘や軍事行動を「戦役(campaign、キャンペーン)」として連接し、主導権を維持しながら、戦略目的へ接続するレベルである。戦術とは個々の戦闘の遂行であり、術科/技術とは兵器、AI(人工知能)、ドローン、サイバーといった技術だけでなく、それを運用する人の練度、教育、プロフェッショナリズム、組織文化といった実践的能力も含む。

 この中で特に重要なのが、「作戦レベル(Operational Level)」と作戦術であり、それらを司るドクトリンである。

 1981年、国際政治学者のエドワード・ルトワックは、学会誌International Securityにおいて、「戦略」と「戦術」の間に独立した「作戦レベル」が存在すると論じた。戦争において重要なのは、個々の戦闘そのものではない。それらをどのように戦役として統合し、戦争全体をどの方向へ導くかであるとした。

 米国軍統合ドクトリンは、作戦術を「指揮官と幕僚による認知的アプローチ(cognitive approach)」として定義している。すなわち、戦略目標と戦術行動を結び付け、「戦場の霧」つまり不確実性の中で戦争全体をどの方向へ導くのかを構想する思考そのものである。この為、指揮官の独創性と創造性が重視される。

 日本はどうか。海上自衛隊基本ドクトリンも、作戦術を、作戦レベルにおいてリスク(Risk)を勘案し、目的(Ends)に対し、戦略・作戦・戦術レベルのあらゆる方法(Ways)と手段(Means)を統合する概念である、と定義する。つまり、戦略と戦術を結び付けるための思考と実践として位置付けている。

 言い換えれば、作戦術とは、「戦術的成功を戦略的成果へ転換する方法論」である。

 軍事組織には、ドクトリンの存在が必要不可欠である。海上自衛隊は、ドクトリンを、海上自衛隊が「いかにあるべきか(How it should be)」を示すとともに、海上自衛隊が任務を遂行する上で、さらには個々の隊員が職責を果たす上での、準拠すべき事項や考え方(How to think)と位置付けている。その適用に当たっては、決して盲目的になることなく、柔軟性と創造性を併せ持つ必要がある、とする。

 つまり、ドクトリンは解答を教えるものではなく、いかに解答を導くかの考え方を与える組織の方法論であり、組織の哲学に他ならない。「海上自衛隊」を組織や会社と置き換えて考えていただくとどうだろう。

 作戦術とドクトリンは、軍事以外でも適用できる。将棋で言えば、戦術は目の前の駒取りに近い。しかし作戦術は、「どのような形で相手玉を追い込み、どこで詰ませるのか」という全体構想である。将棋とは、個々の駒を取ること自体が目的ではない。プロ棋士の勝負を見れば、それが理解できる。長時間、駒を取り、取らせながら戦い続けるのである。

 企業経営にも似た側面がある。優れた技術や製品を持っていても、それらをどの市場目標へ接続するのかが曖昧であれば、組織全体は漂流する。現場の成功を、全体目的へどう結び付けるか。そこに作戦術の本質がある。過去30年間の日本の停滞と漂流は、作戦術の欠如の帰結とも言えるかもしれない。

 さて、戦争も同じである。敵部隊や施設を破壊するだけでは、戦争は終わらない。問題は、それらの軍事行動をどのような政治的終結へ接続するかにある。これは、第二次世界大戦における日本の教訓である。

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