『プラダを着た悪魔2』が5月1日に公開された。
前作公開後、物語の主要人物であるナイジェルを演じたスタンリー・トゥッチはその完成度の高さから「続編はありえない」と言っていたが、20年の時を経て続編が生まれたことに期待は膨らんだ。
『2』を観る前に前作『プラダを着た悪魔』を観直した。この作品の国内版DVD発売時、パッケージに脚の出演をさせていただいた縁もあって思い入れが深い映画だ。
オープニングに「Suddenly I See」がかかると、主人公アンディ(アン・ハサウェイ)や他の女性達が目覚まし時計を止めて身支度をしていく映像が始まる。すぐに「ああ、これこれ」と、ワクワクしながら観た記憶が蘇った。今でいう「GRWM」、都会で生活をする女性達がほんの少しの生活感を漂わせながら、次々に下着や服、ジュエリーに靴を身につけていく。おしゃれには無関心というアンディも面接の場所へと颯爽と向かう姿が絵になる。当時の私は、憧れだったモデルの仕事が少しずつ安定してきた頃で、『VOGUE』や『ELLE』、『Harper’s BAZAAR』などの海外ファッション誌が大好きで毎月貪るように読んでいた。海外のクチュールやコレクション、それに籠められたテーマはいつも壮大で美しかった。日本でも雑誌、とくに自分が専属モデルを務めていた『CanCam』が元気だった時代であり、自分が撮影現場で披露するポーズや世界観のネタがないかとページの隅まで視線を巡らせていた。そんなこともあり、映画に登場するアイテムにもすぐにブランドを特定できるものが多かった。
この映画の魅力のひとつに、劇中のファッションを「目撃」する楽しさがあると思う。シャネルのジャケットにキャスケットやネックレス、クロエのブーツにフェンディのバッグ、プラダのバッグにドレス……。ファッションだけでなく、自分の知っているモードの世界の歴史や蘊蓄、そこから派生する皮肉やジョークが面白く、また画面にたびたび登場するセレブやデザイナーを見つけられた時も同様の喜びを得た。「あれ、わかった?」などと自分と同じ興味を持つ人たちを探して話したくなる高揚感があった。
ちなみに今回第一作を観直した際、私が最も憧れていたブラジル出身のモデル、ジゼル・ブンチェンが登場していたことをすっかり忘れていたため、20年前と同じように「ジゼル!」と一人声を発してしまった。ジゼルへの愛や彼女の功績について細かく語ろうとすれば、きっとこの原稿のページ数では収まりきらない。
初めて『プラダを着た悪魔』を観た時の話に戻ろう。若くて夢に向かって邁進するアンディに強く共感するところが多かった反面、実を言えば疑問が残った展開があった。雑誌『RUNWAY』編集長で冷徹な上司ミランダ(メリル・ストリープ)の不条理な言動に振り回され、頑張ってもなかなか評価を得られないアンディ。でも全力を尽くすうちに少しずつ周りから向けられる目も変わってくる。しかし仕事が軌道に乗ったかと思えば、先輩アシスタントのエミリー(エミリー・ブラント)や恋人のネイト、友人達との関係に亀裂が入る……。必死なアンディの涙目に何度も強く頷いたのを覚えている。
私はデビューが遅かったこともあり、新人の時はとにかくどんな小さな仕事でも一生懸命やって早く一人前になりたいと思っていて、仕事優先の毎日だった。だからプライベートは二の次で、とくに恋愛面はうまくいかなくても仕方ないと割り切っていた。その面ではアンディにただ共感しかない。だが、疑問を感じてしまったのはアンディがミランダの部下で『RUNWAY』を陰で支える聡明な補佐役、ナイジェルに弱音を吐くところと、終盤でパリでの最後の場面にアンディがとった行動である。
まず、弱音を吐く場面で信じられなかったのは、自分の心のうちにもあるけれど口に出すのは憚られる「認められたい」という思いをアンディがあけすけに吐露することだ。私は何もないところから仕事を始め、逆境も多かったけれど、目の前のスタッフさん達や誌面を通して読者の人達が喜んでくれることだけを原動力に生きていた。睡眠時間は少なく、忙しくなるのは嬉しい反面、睡眠時間や自由な時間は削られ、けして充実した青春時代とはいえなかった。でも、自分が不満を口にすれば自分がその場から去らなくてはいけない、それはわかりきっていた。笑顔で激務をこなしていく仲間を見て自分の弱さを打ち消しながら、絶対に弱音は吐かないと決めていた。だからアンディにも弱音なんか吐かずに強くいてほしいと思っていた。
ただ、作中でここでの弱音はナイジェルが自分の生い立ちや『RUNWAY』への思い、彼の信念を語る重要な場面へとなだれこむので、物語上での意味はあるのだけれど。
そして、パリでのラスト。ミランダがナイジェルを裏切る形となった行動の後で、アンディがミランダに背くシーン。ミランダの下で培ったものを捨ててパリを去ったのが受け容れられなかった。「あんなに頑張ったのに!(しかも与えてもらった全ての服を手放すなんてファッション否定?)」と猛烈に悔しかった。私がファッションの仕事を好きで、ミランダのいう「何百万人が憧れる仕事」に納得する人間だったこともある。
今回前作を観直して、20年前の私が、私自身と自分を投影したアンディにどれだけ(少し理不尽なくらいに)厳しかったかと気づかされた。今なら、仕事の仕方を一から自分に教え、無理な相談にも乗ってくれたナイジェルやエミリーが負った心の傷をアンディが深く受けとめてミランダに見切りをつけたことも、そしてそれまで『RUNWAY』で最大限努力したことに自信を持って、さらなる夢へと進む気持ちが私にもわかる。大切なものを選び、守るために、何かを犠牲にすることもまた、アンディがミランダから身をもって教えられたことだからだ。
『プラダを着た悪魔2』では、アンディ、ミランダ、ナイジェル、そしてエミリーの主演4人は相変わらず美しく魅力的だが、ストーリーは想像以上に現代に合わせたものになっていた。前作でも印象的だった冒頭のアンディの歯ブラシは電動に変わり、突然のリストラ、ネットで一気に拡散されるニュース、SNSでのバッシング、雑誌文化の衰退……、まるで現代社会の時の流れの速さを表しているかのようにスピーディーに話が進む。
新聞社でキャリアと実力を積み上げたアンディが、危機に直面した『RUNWAY』を救うためにエディターとして雇われるが、20年で培った経験や自信はその表情や立ち居振る舞いにも表れている。ミランダに認めてもらえなくてナイジェルに泣きつく所は変わらないが、手頃な値段で手に入れたリユースのマルジェラのジャケットを羽織り、冷遇にもへこたれず、自分の強みであるジャーナリズム魂と客観的な視点を持ってミランダやナイジェルを支えようとする姿は頼もしい。
「雑誌文化が終わって大変そうね」というエミリー(今はディオールに転職している)の台詞が印象深かった。10年ほど前、私の携わっていた雑誌が休刊したことを思い出す。その前からずっと「紙はなくなる」という噂は絶えず、ファッション業界ではデジタル記事やSNS投稿が増え続けていた。
作る上で様々な工程を挟む紙媒体は、即配信が可能なデジタルメディアにテーマの新鮮度やスピード感において勝ち目がなかった。でも現実に自分が創刊から関わり、10年もの間すっかり親しくなったスタッフの皆と毎月困難な場面を協力して乗り切って作っていた雑誌がなくなるというのは胸にこたえるものがあった。しかし、そんな自分も雑誌はデジタル版で読むことが多くなっていたし、ファッション誌に予算がないというのもよく聞く話だから仕方がない。昔、自分がモデルに憧れた理由のひとつでもあった華やかな海外ロケのことなどすっかり聞かなくなった。
『2』でのミランダは、本来持つセンスとプライド、信念を保ちつつ、そして老いを感じさせながらも、変化する時代になんとか対応しようとしているところが良かった。会議のシーンで、対外的にコンプライアンスや多様性を気遣うつもりで言葉を選ぼうとするミランダには笑った。また、前作ではパートナーに恵まれなかったが、今回は温かい人間関係を築けていることにも安心した。すっかり弱くなってミランダがミランダらしくない、という声を聞いたが、ミランダは大切な『RUNWAY』を守るために必死で、やりたくないことも受け容れていこうとしていたのではないかと思う。
また今回も、前作のDNAを受け継いだとされるファッションはより洗練された印象でやはり見応えがあり、前作のパリに替わって今回の後半の舞台となったミラノの歴史的建造物やアート、その背景のエピソードが物語に重みを加えている。
周りでは「おしゃれをして観に行きたい映画」として、その日のコーディネートと作品の感想を伝えるSNS投稿も目立った。私自身も映画鑑賞日は手持ちの服からカットが美しいブラウスにアシンメトリーのパーツがモードな印象のパンツを選んで気分を上げ、隣の席の知らない人が映画の象徴である真っ赤なスカートを纏っているのを微笑ましく眺めた。子供ができて自分の時間が少なくなり、普段はファッションに全力投球できないけれどセンスは磨いていきたいと改めて思えたし、心地よく、楽しく生きていくことの大切さを教えてもらった。何より、ファッションの面白さや奥深さ、仕事の面白さを真正面から肯定してくれたところが爽快だった。
20年前のアンディの姿に初心を思い出し、今作では成長したアンディの夢を追い続ける姿勢に励まされた。ミランダの思いや立場に理解が及ぶようになり、ナイジェルの一貫した冷静さとアシスト力に学び、裏切りはよくないけれどラストのエミリーの逞しさにも心が軽くなった。
そして、「完璧な人間なんていない」。映画の後半に登場したこの台詞にずっと救われている。この台詞はレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の前でミランダがアンディに人間の不完全さを語るシーン、アンディが喧嘩した恋人と仲直りするシーンで使われている。ミランダやアンディ、ナイジェルやエミリーにも同じことが言えるが、その人の欠落している部分と突出している部分=魅力は表裏一体だったりする。私も昔から仕事に一生懸命向き合うほど空回りをしてしまうことがしばしばあるけれど、開き直る意味ではなく、自分の完全でない部分を受け容れながらこれからも本気で仕事をしていきたい。帰ってきたアンディのように折々にファッションを楽しみながら、その背景にあるモードやアートの歴史や、クリエイティブに生きる人の深い思いに触れられたら嬉しい。そして、雑誌モデルという形にはこだわらず、いろいろな媒体を通して、周りの人たちと力を合わせながら自分の思いを込めた作品を届けていけたら、と私は思った。
ミランダのいる『RUNWAY』はこの先も存続してゆくことだろう。20年前よりも少しだけ優しさを含んで響くミランダの「Go.」という言葉に、私も夢を見つめ直す機会を得た。
(初出『波』2026年7月号)