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文豪、俳優、劇作家…妖しい輝きに魅了され「美輪明宏」を愛した「7人の男」たち

2026年7月5日


<span>文豪、俳優、劇作家…妖しい輝きに魅了され「美輪明宏」を愛した「7人の男」たち</span>
1957年、レコードデビューしたばかりの頃の美輪明宏さん

古代ギリシア彫刻のように端整な美貌を備えた若者は、文壇の寵児に見出されたばかりではない。若手アクション俳優と密かに逢瀬を重ね、アングラ演劇の旗手からも一目置かれた。その数奇な人生を彩ったのはいつも、非凡な才能に魅せられた男たちだった。

米軍兵士や文化人が「密かに集うサロン」で

 丸山臣吾。それが美輪明宏の幼少期の名前である。1935年5月15日、長崎県長崎市の生まれ。両親は市内の色街でカフェーを営んでいた。男児がいない母親の生家へ生後すぐに養子に入って「丸山」姓となったが、実の両親の下で育つ。

 2歳で実母と死別して継母に育てられるも、その女性とも9歳で死別した。

 継母の死から半年経った45年8月、さらなる悲劇が見舞う。長崎市に原子爆弾が投下されたのである。

「10歳だった美輪は原爆投下時には、爆心地からわずか3・9キロの自宅にいたそうです。父や兄弟は無事だったものの、実母の生家は壊滅。自身も被爆の影響から後年、後遺症とみられる慢性気管支炎に苦しみました」(芸能デスク)

 終戦後、ミッション系の私立・海星学園に進学。初めて恋に落ちたのは中学1年生、13歳の時だった。

「美輪の自伝によると、相手は中学3年生の男子で“俺の弟にならんか?”と声をかけられたのがきっかけだったそうです」(同)

 この頃、レコードに触れてシャンソンにのめり込み、歌手の道を志すようになったという。16歳で東京の国立音楽高等学校に転入するために上京。ほどなく人生に大きな転機が訪れる。“美少年募集”を謳う新聞広告に応募し、銀座4丁目交差点付近にあった「ブランスウィック」で働き始めたのだ。

「店は表向きこそ喫茶店でしたが、米軍兵士や文化人の同性愛者らが密かに集うサロンでした。美輪はそこで、当時『仮面の告白』で注目を集めていた三島由紀夫と出会います。三島から“何か飲むか”と声をかけられた美輪は“芸者じゃありませんから結構です”と切り返したそうです。その大人びた受け答えが強烈な印象を残したのでしょう。三島はその後、足繁く店に通ったといいます」(同)

 三島の小説『禁色』は、ブランスウィックに着想を得ている。その作品で「君ちゃん」として登場するのが六本木の伝説的なゲイバー「吉野」のオーナー、吉野寿雄ママ(95)だ。

 吉野ママが言う。

「店で働いている時の彼は、普通にボーイの格好をしていましたよ。でも、ああいう彫りの深い顔でしょ。ハーフっぽく見えて、人目についていたと思う」

 続けて、こんな話も。

「あの人も売れるまでは、随分苦労したと思う。ブランスウィックを辞めたあと、八丁堀の『五番館』というゲイバーで5、6人の従業員と一緒に住み込みで働いていたわ。その雇われママが軍隊上がりで厳しくてね。ひどくこき使われて、すぐに辞めていたわね」

 だが、泥水を啜るようなそれまでの辛く貧しい暮らしが上向き始める。銀座7丁目のシャンソン喫茶「銀巴里」のステージに立ったのだ。

「当初は、『原孝太郎と東京六重奏団』という有名なバンドの演奏で、タンゴとか歌っていて。襟がひらひらしたブラウスを着て、中性的な格好だったわね。歌のほうはまともよ」(同)

相次いだ恋人たちの「非業な死」

 銀巴里で歌い始めたその頃、高名な易学者から「名前を変えれば必ず売れる」と勧められ、本名の「臣吾」を「明宏」に改名する。効果はてきめんだった。

「改名翌年の57年、自ら日本語訳詞を手がけたシャンソン『メケメケ』でレコードデビューを果たし、“シスターボーイ(中性的な男子)”ブームを巻き起こしました」(前出デスク)

 しかし、ブームは続かなかった。実家が破産していたこともあり、家族を経済的に支えなければならない立場にも追い込まれる。

 この不遇の時代、心の支えとなったのが日活ニューフェイスとしてデビューし、石原裕次郎、小林旭に次ぐアクションスターとして将来を嘱望されていた赤木圭一郎だった。赤木はハリウッドのスター、トニー・カーティスに似ていることから「トニー」の愛称で親しまれていた。

『オーラの素顔 美輪明宏のいきかた』の著作がある、ノンフィクションライターの豊田正義氏が明かす。

「美輪さんは私に“トニーと私は恋人同士でした”とはっきり認めました。同時に“私のことを好きになる男性は、みんな異性愛者ですよ。私を『女性』と見なして愛するのですから。だからトニーは同性愛者ではなく、異性愛者です”とも語っていました」

 もっとも、二人の蜜月は突然、幕を閉じる。61年2月、赤木が日活撮影所で昼休みにゴーカートを運転していたところ事故を起こし、21歳でこの世を去るのだ。

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