初期3部作で探った「虚実皮膜」
展示は大きく3章に分かれ、緩やかに制作時代順に作品が並ぶ。1章「時間・光・記憶」では、1970~80年代に着手された〈ジオラマ〉〈劇場〉〈海景〉の「初期3部作」シリーズが観られる。
〈ジオラマ〉は、杉本のデビュー作である。野生生物の生態を再現したアメリカ自然史博物館のジオラマ展示を、大判カメラで精緻に撮影した。立体的に構築されたジオラマを、モノクロ写真に収めて二次元化すると、つくりもののはずの剥製や人形が、あたかも生命を宿したように見えてくるから不思議だ。
杉本はこの制作を通して、
「どんな虚像も、写真に撮れば実像になる」
との気づきを得たという。
〈劇場〉は、「映画一本を写真で撮ったとせよ」という杉本自身の自問から始まった。一本の映画の上映開始から終了までの約2時間、カメラのシャッターを開放し続け長時間露光で撮影する。と、スクリーンは真っ白の単なる長方形と化してしまう。そこに映し出されていたはずの喜怒哀楽や物語はすべて白光の中に消え去って、まぶしい照り返しだけが劇場の闇に浮かび上がるのだ。
画面の中心に水平線が走り、上部の空と下部の海以外は何も写っておらず、シンプルこのうえない画面構成を示すのは〈海景〉。これも杉本のひとつの自問から始まったシリーズだ。「原始時代に人が見ていた風景を、現代人も同じように見ることは可能か?」を考えたのだという。
〈海景〉の画面には人工的な要素が皆無で、地球上に大気と海が発生して以来変わらぬ眺めがそこにある。杉本はここで、太古の昔へ時間をさかのぼる装置として、写真を用いているとも言えそうだ。会場で幾枚も並ぶ〈海景〉に囲まれていると、自分自身のなかに眠る始原の記憶が呼び覚まされてくるような気分になる。
「観念」は写真に撮れるのか
展示の2章は「観念の形」と題される。1990年代になると杉本博司は、人間の知性や想像力がつくりだしたさまざまなかたちを主題とするようになる。
のちに建築を手がけるようになる杉本の思考がよく表れているのが〈建築〉シリーズだ。ワールド・トレード・センターなど20世紀を代表するモダニズム建築が被写体となっているのだが、撮影手法はユニークそのもの。大型カメラの焦点距離を「無限の倍」に設定して、極限までボカして撮影している。
細部や汚れといったノイズが削ぎ落とされて、画面にはシルエットとボリュームだけが浮かび上がってくる。それはいわば、設計当初に建築家の脳内に宿った純粋なビジョンそのものの姿とも考えられる。杉本はここで、人が思い浮かべる観念に、そのままかたちを与えているかのようだ。
3章「絶滅写真」では、写真メディアの始原にさかのぼる近年の試みが紹介されていく。〈フォトジェニック・ドローイング〉は、写真術の始祖と目されるタルボットが1830年代に作った陰画(ネガ)を、杉本が暗室で陽画(ポジ)として焼き直し、像を現出させたシリーズ。200年近い時間を経て日の目を見たイメージは、ずいぶんボヤけてはいるものの、なんだか愛おしく感じられる。