国勢は日々さかんに、治世も日々久しくなる と、さすがの太宗も次第に飽いてこないわけにはいかなかった。「貞観のはじめは、言いたいことをいうように、と促し、三年の後は、諫めを承けると悦んで従っておられた。ところが、ここ一、二年はよほど無理して諫言を納れられても、なお不平をお持ちだ」とは諫臣・魏徴の言。ここからわかるのは、太宗も貞観の中ほど、功成って志をとげると、もはや孟子のいうように「好んで臣下から教わ」れなくなっていたことである。恐懼は懲しめ有るところから生じ、怠惰は戒め無きところから生じる。君主というのは、おおむねそうしたものだ。(『廿二史箚記』卷十九)
唐の歴史を熟読した18世紀の考証学者・趙翼の評言である。登場する「太宗」とは、唐の第二代皇帝、中国史上、希代の明君として名高い。ところがそのいわゆる「明君」とは、しょせん凡百の「君主(人主)」でしかなかったことを喝破した一文である。
「唐」といえば、中国史で最も著名、代表的な王朝の一つである。なかんずく、われわれ日本人にとっては、その名がそのまま中国、いな外国・世界を指す代名詞にほかならない。唐人・唐物といえば中国人・中国産品、唐辛子・唐黍といえば、アメリカ大陸原産の香辛料・穀物、果てはもはや死語になった差別用語「毛唐」まである。……