沖縄の組織的な戦闘が終結したとされる6月23日、糸満市にある白梅学徒隊の慰霊碑(白梅之塔)の前で手を合わせる。どこからともなく聞こえる三線の音色。それに合わせて、もの悲しい女性の歌声が、終戦から78年の夏空に響き渡った。
月桃ゆれて花咲けば夏のたよりは 南風緑は萌えるうりずんのふるさとの夏――(「月桃」 作詞、作曲・海勢頭豊さん)
私たちは、夫が元朝日新聞カメラマンで、妻が元読売新聞記者のジャーナリスト夫婦。沖縄で20年以上に亘って、ボランティアで戦没者の遺骨収集を続けている。戦後60年の少し前から交流を続けてきた元白梅学徒隊の中山きくさんが今年1月、永眠された。享年94。その御霊(みたま)に手を合わせ、お別れをするために夏の沖縄を訪ねたのだ。
旧日本軍の陣地壕で女性と子供の遺骨を発掘
きくさんは、沖縄戦で看護助手として従軍した女子学徒の生き残り。白梅とは、沖縄守備軍の第24師団第一野戦病院に配属された沖縄県立第二高等女学校の4年生らで編成された隊の通称名。56名の女子学徒が激しい戦火の坩堝に放り込まれ、勤務中の病院や解散後の逃避行中、「鉄の雨」と呼ばれるほどの爆撃・銃撃に晒されるなどして22名が戦死している。
慰霊碑の前で一緒に手を合わせたのは、琉球ガラスの職人になるため、今年6月から修行のために沖縄へ移住した斉藤桃子(25)(以後・桃ちゃん)。私たち夫婦と10年近く活動を共にする青森県出身のボランティア・メンバーだ。生前に何度か交流し、その都度、手を握り合って別れを惜しんだきくさんに想いを馳せて、黙祷(もくとう)を捧げている。……
