年明け間もない1月7日、フランスで一人の元政治家が世を去った。驚いたのは、その死を「悼んで」ではなく「祝して」、人々が各都市で集会を開き花火を打ち上げたことだ。パリで650人、リヨンで600人、マルセイユで200~300人が「人種差別主義者が死んだ」などと書かれたプラカードを掲げて気勢を上げた。ブリュノ・ルタイヨー内相は「たとえそれが政敵であっても、遺体の上で踊ることは許されない。恥ずべきだ」とXに投稿、その行為をいさめた。
亡くなったのは極右「国民戦線(FN)」の共同創設者ジャンマリ・ルペン氏、享年96。「国粋主義者」「大衆扇動家」「反ユダヤ主義者」「歴史修正主義者」「人種差別主義者」――。ありとあらゆる負の評価が、この人物にはつきまとった。一方で、1970年代から引退した2010年代に至るまで、「異端児」として政界内部やメディアで常に意識された。ある意味で、ジャンマリ・ルペン氏はフランス社会の隠しておきたい不都合な姿を映し出す鏡だった。そして、その3女であるマリーヌ・ルペン氏はFNの後継である国民連合(RN)を率いて、今やフランス政治を左右する実力者にのし上がっている。
国民の多くから蛇蝎のごとく嫌われつつ、着実に支持者を拡大して政局の中心に躍り出たルペン父娘のたどった道を振り返る。そこには、現在のフランスが抱える宿痾もまた映し出されている。
北アフリカ移民・イスラム教徒排斥の源流にあったアルジェリア体験
ジャンマリ・ルペン氏は1928年6月20日、西部ブルターニュ地方の海辺の町ラトリニテ・シュル・メールで生まれた。父親は漁師、母親は敬虔なカトリック教徒で、ジャンマリ氏はイエズス会系の小学校に通った。42年、父親が海で機雷に触れて死亡し、ジャンマリ氏は「戦災孤児」として貧しい少年時代を送る。……