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Vol. 3

私と「野坂昭如」 愛妻が語った「波乱万丈なる二人三脚」

2026年5月1日


<span>私と「野坂昭如」 愛妻が語った「波乱万丈なる二人三脚」</span>
野坂昭如さん

 2015年12月9日亡くなった作家の野坂昭如さん(享年85)。1967年に『アメリカひじき』『火垂るの墓』で直木賞を受賞。独特なリズムの文体と破天荒な振る舞いで注目を集めた野坂さんだったが、家庭内では家族思いの愛妻家として知られた。同年の「週刊新潮」のインタビューで妻・野坂暘子が語っていたエピソードとは。

※本稿は「週刊新潮」2015年12月24日号に掲載された特集を元に再構成したものです。また、年齢や肩書、年代表記等は当時のものです。

サングラスは「シャイな自分を隠すため」

〈トレードマークのサングラスをかけて棺に納められた野坂さんは、12月12日の午後、都内で荼毘に付された。53年連れ添ってきた暘子さんが初めて出会ったのは、宝塚歌劇団に在籍していた頃。その時もやはり、同じ姿で現れたのだという。〉

 最初はまったく彼のことを知らないまま、知人の紹介でお会いすることになりました。ところが、夜だったにもかかわらず黒いサングラスをしているのです。その時は、「きっとお目が悪い方なのだろう」と思っていました。そもそも当時、サングラスをしているのは、怖いお仕事の人くらい。しかも近眼で乱視だったから牛乳瓶の底みたいに分厚くて、余計にびっくりしました。もっとも、結婚してからは私がどんどん色を薄くさせましたけれどね。

 野坂は神戸育ちで、今でこそ「タカラジェンヌ」といえば女優さんの響きがしますが、当時の神戸の人たちにとって宝塚歌劇団は“お嬢さん育ちの人が花嫁修業をするところ”というイメージがあったのでしょう。同じ世代の男性、特に関西出身の方の中には、強い憧れを持っている人が多いのです。……

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