※本稿は「週刊新潮」2021年2月25日号に掲載された特集を元に再構成したものです。また、年齢や肩書、年代表記等は当時のものです。
“屈辱の時代”に終わりを告げて
私は一橋大学の学生だった1955年(昭和30年)に『太陽の季節』を発表し、翌56年に芥川賞を受賞、映画版も公開されました。それは、ちょうど「戦後」が完全に終わった時期と重なります。実際、56年の経済白書には「もはや戦後ではない」という言葉が登場しました。どっちが先かは分からないが、経済白書をまとめた役人だけでなく、多くの日本人も戦後の終わり、そして、新たな時代の始まりを感じ取っていたわけです。
文学の世界でも遠藤周作、吉行淳之介といった第三の新人と比べて、大江健三郎や開高健といった私と同世代の作家は書くものが歴然と違っていた。明らかに、ひとつの境目があったように感じますね。戦後の混乱と屈辱の日々が終わりを告げて、新たな日本の青春期、転換期が訪れようとしていた。私の書いた『太陽の季節』は、そうした世の中の変化を捉え、ある意味で象徴していたわけです。だからこそ、古い世代の人間から顰蹙を買った一方、多くの人々が共感し、同調したのだと思います。
もちろん、当時22歳だった私は、自分の書いた作品への大反響に驚きました。大学卒業後、東宝の助監督試験に受かって就職したけれど、学生結婚だったこともあって生活は楽ではなかった。そんなとき、期せずして物書きで食っていけるようになった。これは幸せなことでした。……