※本稿は「週刊新潮」2026年4月9日号に掲載された記事を元に再構成したものです。また、年齢や肩書、年代表記等は当時のものです
漫画界のみならず絶賛された小説的な世界
つげ義春さんは漫画の表現に新境地を開いた。説明的ではなく唐突、娯楽的でもない。
『ねじ式』(1968年)のように、不条理を感じさせる作品もあれば、『海辺の叙景』(1967年)のように降りしきる雨の中、傘をさした女が泳ぐ男を見ながら、「あなたすてきよ」「いい感じよ」と何げない言葉をつぶやく場面で終わり余韻が残る作品もある。
つげ作品は絵で表現した小説的な世界、意味付けを排したリアリズムなどと漫画界のみならず絶賛された。
4歳年下の弟で漫画家のつげ忠男さんは思い返す。
「小さい頃、兄は外で一緒に遊んでいるうちに、突然ひょいと姿が見えなくなってしまうことがありました。でも、探すまでもなくひょいと戻ってきて、何事もなくまた遊び続けました。どこかに消えてしまうけれども必ず帰ってくることを、兄は生涯繰り返していたように感じています」
旅は短い間の蒸発のようで、社会から外れ、この世にいながらにしていなくなれると語っていた。
朝日新聞の『アサヒグラフ』の記者だった大崎紀夫さんは振り返る。
「1969年から『流れ雲旅』としてカメラマンの北井一夫さんと男3人の旅を連載しました。なり行きまかせで東北の湯治場や大分の国東半島などに出かけた。ひなびた場所でつげさんはここに住んでみたいなあ、とつぶやいた。でも、ずっとたたずむのは不可能との思いも感じている。それがつげさんにとっての旅だったのではないでしょうか」
1937年生まれ。本名は柘植義春。板前だった父を5歳の時に病気で失う。小学校を出てメッキ工場で働く。
「子供の頃、漫画を読むのが私達の一番の楽しみ。手塚治虫さんの作品が特に好きでしたね」(忠男さん)
1955年、貸本漫画『白面夜叉』でデビュー。1965年から漫画誌『ガロ』で描き始め、1967年に『李さん一家』『紅い花』などで注目を集める。人間は曖昧で頼りなく、どこか荒涼としているが、ぬくもりもある。作品のそんな持ち味に読者は熱狂した。
2020年には国際漫画祭の受賞式でフランスへ
1975年、女優の藤原マキさんと結婚、1男を授かる。妻が癌を患ったことを案じて寡作になった。1980年代には中古カメラの売買をしていた時期もある。