カルチャー

ノルマ引き上げで文化庁が招く「ポピュリズム」――伊藤若冲はいかに再発見されたか​

2026年5月24日


<span>ノルマ引き上げで文化庁が招く「ポピュリズム」――伊藤若冲はいかに再発見されたか​ </span>
京都国立博物館(Michael Yeo/shutterstock.com)

文化庁が国立博物館や国立美術館に対して、展示に関する運営経費に占める自己収入の割合を現在の5割程度から2030年度までに65%、ゆくゆくは100%にまで引き上げるよう、具体的な数字を挙げて求めたことが報じられた。国立館に「ノルマ」を課すことは今後の文化行政にいかなる変化をもたらすのか。いまや押しも押されもせぬ美術界の「スター」である伊藤若冲を題材に読み解く。

無名画家だった「伊藤若冲」の驚くべきリターン

文化投資が劇的な成功を収めた具体例として、江戸時代の絵師・伊藤若冲の例を挙げておこう。

今日、若冲の展覧会が開催されれば、数時間の行列ができ、図録やグッズは飛ぶように売れる。2016年に東京都美術館で開催された「生誕300年記念 若冲展」は44万人超の動員を記録、入場のための最大の待ち時間は5時間を超えた。しかし、この「若冲ブーム」は、棚からぼた餅式に降ってきたものではない。

存命当時は人気があったという若冲は明治時代に入って忘れられる存在となる。昭和中期頃までは美術史の主流からは外れた画家の一人に過ぎなかった。1960年代から真価を認め、「顕彰」を始めたのは、辻惟雄東京大学名誉教授と米国人コレクターのジョー・プライス氏だった。一般の人気に火が点いたのは、2000年に京都国立博物館で開かれた「特別展覧会 没後200年 若冲」と言われている。しかも、「こんな絵かきが日本にいた」というキャッチコピーがつけられていたという。つまり無名画家だったということだ。

まだネットが今ほどは普及していない時代、「最初は客はまばらだったが、口コミで若者の来場客が激増した」という話を、美術記者だった筆者は驚きをもって聞いた。最終的な動員は10万人に迫る勢いだった。「誰も見向きもしなかった時代」に資料を保存し、研究という「投資」行為を継続し、埋もれていた中から多くの作品を発掘して再評価し、国立博物館で展示できるだけの質と量の作品が集まったからこそ、展覧会は実現した。

ここで大切なのは、一般にはさほど知られていなかった若冲の扱いだ。もし、2000年頃の博物館に「収益自給率65%」のノルマが課せられていたら? 当時の同館は、不確実な「若冲の研究」にリソースを割くことを禁じ、より集客が見込める「仏像展」等の手堅い企画展に走らざるをえなくなっていたのではないだろうか。そうなれば、現代における「若冲という巨大な文化資産」は、永遠に埋もれたままか、あるいは海外に流出し、日本経済には何の利益も もたらさなかった可能性すらある。

「収益のノルマが必要」と主張する人々の見落としは、博物館の価値を「館内のレジを通過した金額」だけで測ろうとすることにあるのではないか。しかし、すぐれた博物館や美術館が存在することは、その地域全体に「間接的リターン」をもたらす。
 

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