政治

アメリカ保守主義が陥った機能不全:その概観とささやかな提案(下)

2022年5月31日

小さな政府、減税、自由貿易、起業家精神――こうした保守の原則的な価値を、トランプ的なポピュリスト・ナショナリストは「非保守的なドグマ」だと批判する。政治の場ではこうした「反エリート主義」に応える傾向が強まるが、一方で保守主義内部の制度構築、文化的刷新の努力は続いている。分裂を克服し、「独断的イデオロギーの否定」という保守主義本来の力を取り戻すために必要なことは。(前編はこちらのリンク先からお読みください)

「トランプなきトランピズム」の模索

 そうしたことがあって、新たな保守主義の形成に向け決然として模索が始まった。それは「トランプなきトランピズム」とでも呼ぶべきものである。少し前まで、レーガン時代やその残照を浴びた保守派の代表的な思想家たちは、自分たちの哲学を当然のごとく、小さな政府、減税、自由貿易、起業家精神と結びつけていた。しかし、現時点では、右派内部からこれらの原則を時代遅れで非保守的なドグマだとして批判するポピュリスト・ナショナリストが増えている。レーガン型ポピュリズムのような政府の役割を否定するレトリックを捨て、自分たちの政策実現のために政府権力を臆面もなく、精力的に行使することを訴えているのである。こうした右派造反者の中には、グローバリズムと国境を超えた進歩的エリートを敵視し、国内の経済的・社会的崩壊に当惑し、旧世界である欧州のナショナリストや社会保守主義者に啓発や知的支柱を求めている者もいる。

 実際、過去10年間の米国における最も顕著な知的潮流のひとつは、その保守主義の欧州化、より正確に言えば、大陸欧州化の進展であった。もちろん、欧州に対する関心は、米国の保守知識人にとって新しいものではない。ラッセル・カークの『保守主義の精神(The Conservative Mind)』(1953年)、『米国の秩序の淵源(The Roots of American Order)』(1974年)といった大著や、エドマンド・バークを英米保守主義の始祖と称えるカークの言葉がすぐに思いつくだろう。また、(いずれも欧州生まれである)フリードリヒ・ハイエクやヴィルヘルム・レプケ、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスが、1945年以降に発展した保守派連合の中の古典的リベラル派とも呼ばれるリバタリアン派に思想的に貢献したことも、思い起こされる。政治哲学の分野では、(ナチスの迫害を逃れ)米国に移住してきた学者であるレオ・シュトラウスやエリック・フェーゲリンとその弟子たちが、プラトンやアリストテレスに遡る欧州の思想伝統を米国の保守派に思い起こさせるうえで多くの貢献をした。

 最近まで、米国の右派は、カークがその晩年の著作で「米国における英国文化」と呼んだもの、そしてバーク、アダム・スミス、(現代では)マーガレット・サッチャーといった英国の賢人らに強く共感する傾向があった。彼らはフランス革命よりアメリカ独立革命を常に評価してきたし、大陸欧州の啓蒙思想が表明する過激で反キリスト教的な思想よりは、比較的穏健なスコットランド啓蒙思想の方を好んだ。古典的自由主義が持つ純粋主義を批判することが時にはあっても、過去2世紀に欧州大陸の多くで見られた国家主義的な右派よりは、英語圏世界の自由を重視する保守主義を支持する傾向が長年にわたって続いている。

 それだけに、トランプ旋風が巻き起こって以来のこの6年ほど、米国の保守派知識人や著名人が、ハンガリーのオルバン・ヴィクトル首相のような欧州大陸の右派政治指導者や反リベラル思想家に、新たな政治路線を模索する指針を求めたことには、いっそうの驚きがある。このように米国型以外のモデルに魅了されるのは、知的好奇心を示しているだけではない。一部の右派知識人らが、米国の右派ばかりか米国の体制までが弱体化していると認識し、疎外を感じていることの表れである。米国の体制は「ジョン・ロック型自由主義」の誤りと、そこから不可避的に生じた精神的腐敗で台無しになったと彼らは感じているのだ。……

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