- ナゴルノ・カラバフ「統一」後の現在(1) 地雷と復興
アゼルバイジャン領内ながらアルメニア人住民が多数を占めていたナゴルノ・カラバフは、地形だけ見ると、アゼルバイジャン側との一体性がより強い。アルメニア本土とは西方の標高3500メートル前後の険しい山並みで隔てられているのに対し、アゼルバイジャン側はカスピ海沿岸のバクーまで緩やかな斜面と平野が続いている。ソ連時代の鉄道も、中心都市ハンケンディ(アルメニア名:ステパナケルト)はバクーと結ばれていた。
しかし、1990年代の第1次ナゴルノ・カラバフ紛争の結果、バクー・ハンケンディ間の鉄道や道路は遮断され、それまで裏街道だったアルメニア本土からの峠道「ラチン回廊」が主な輸送ルートに昇格した。2020年の第2次ナゴルノ・カラバフ紛争を経て、2023年9月にアゼルバイジャンが全土を制圧した結果、今度はアルメニア側の国境が閉ざされ、人や物資の行き来は以後、アゼルバイジャン側からに限られている。
かつて鉄道が通っていたルートに沿って、アグダムからハンケンディに車で向かう。アグダムまでは高速道路が完成しているが、その先はまだ道路拡張の工事中であり、一部は未舗装のままである。路上の凹凸を避けつつ、のろのろと車は南下する。
やがて、右側に集落が見えてきた。ホジャリ村である。第1次紛争さなかの1992年、ここでアゼルバイジャン人住民に対する虐殺が起き、アゼルバイジャン側によると犠牲者数は600人を超えた。以後、アゼルバイジャン人が戦争被害を語る際、この村が真っ先に言及される。現在は復興のさなかなのだろう。あちこちで重機がうなりを上げている。一部の商店も開き、住民の一部が戻ってきているとうかがえる。……
