経済・ビジネス

原付バイクの覇権を争ったホンダ・ヤマハ「HY戦争」血風録

2026年5月1日


<span>原付バイクの覇権を争ったホンダ・ヤマハ「HY戦争」血風録</span>
バイクにまたがる本田宗一郎氏(1962年12月、本田技研埼玉工場にて)

 1970年代の終わりから1980年代前半にかけ、オートバイ市場の覇権を巡りしのぎを削ったホンダとヤマハ。その熾烈な争いはいつしか「HY戦争」と呼ばれるようになった。採算度外視のダンピング(不当廉売)、そしてリベート(小売店への払い戻し)が繰り広げられた背景には、両社のプライドを掛けた戦いがあった。当時の関係者が「週刊新潮」の取材に語った証言を元に振り返る――。

※本稿は「週刊新潮」別冊【「輝ける20世紀」探訪(2016年刊行)】に掲載された特集を元に再構成したものです。また、年齢や肩書は当時のものです。

“ラッタッタ!”

 日本のお茶の間のテレビに流れる、原付バイクに跨がったイタリアの大女優ソフィア・ローレン――。

 経済企画庁(2001年に他省庁に統合)が“もはや戦後ではない”と経済白書に記してから20年、昭和51年(1976年)のことだ。

“ラッタッタ”という愛称は製品名「ロードパル」よりも世に広まった。……

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