特集 > カルチャー

Vol. 4

「向田邦子」がこだわり続けた「食卓の風景」と“遅筆”にまつわる逸話

2026年5月1日


<span>「向田邦子」がこだわり続けた「食卓の風景」と“遅筆”にまつわる逸話</span>
向田邦子さん

 持ち前の観察眼で世情を活写し、傑出したドラマを世に送り続けた向田邦子さん。1981年8月、台湾を取材中に起きた飛行機事故による突然の死から40年以上が経った今も、「昭和の息づかい」に寄り添い、人間の営みを丹念に描いた作品は色褪せることなく、令和を生きる我々の胸に鳴り響く。

※本稿は「週刊新潮」2021年9月2日号に掲載された特集を元に再構成したものです。また、年齢や肩書、年代表記等は当時のものです。

見終わった後で余韻が残り、人生について考えさせられる

 取材旅行で台湾へ赴いた向田邦子が、そのまま帰らぬ人となったのは1981年夏。遠東航空機が墜落し、乗客乗員110人全員が亡くなる大惨事だった。

 が、51年余りの生涯で編み出された作品は時代を越えて茶の間で親しまれてきた。メディア文化評論家の碓井広義氏が言う。

「従来のホームドラマは『肝っ玉かあさん』『ありがとう』など、母親を中心としたものでした。そんな中、同じく家族を扱いながらも父親にスポットを当てたのが、向田ドラマの目新しさでした。1974年の『寺内貫太郎一家』の主人公、小林亜星演じる貫太郎は曲がったことが大嫌いながんこ親父。喧嘩っ早くてすぐにちゃぶ台をひっくり返し、西城秀樹演じる長男と取っ組み合い、なだめる妻をぶっ飛ばし、最後は息子を庭に投げ棄てるのだから、今だったらDVで訴えられるかもしれません」

 それでも、貫太郎は今なお魅力的に映る。

おすすめの動画

すべて見る
戻るボタン 次へボタン

ニュースレターを購読する

新潮QUEは、私たちが「問う力」を養っていくためのサブスクリプションサービスです。

無料登録する