(前編から続く)
労働者階級に痛みを強いた「確信の政治家」
マーガレット・サッチャーといえば、直ちに浮かぶのが「確信の政治家」というイメージである。それを象徴する言葉が、保守党の勝利でイギリス初の女性首相となった1979年の総選挙の際の演説である。
旧約聖書の予言者たちは「兄弟たちよ、私はコンセンサスを求める」などとは言いませんでした。彼らはこう言ったのです。「これが私の信仰であり、ビジョンである。もしあなたがそれを信じるのであれば、私についてきなさい」。今晩私はみなさんに同じことを申し上げます。最近の寒々とした陰鬱な過去、敗北主義と別れを告げましょう。
サッチャーが首相に就任した当時のイギリスの経済は低迷し、手厚い社会保障政策が国の財政の大きな負担となり、「イギリス病」と呼ばれる状況にあった。サッチャーは首相になるや次々と思い切った政策を断行した。労働党政権が財政出動による景気刺激策を試み、インフレ率が25%近くまで跳ね上がったのに対し、サッチャーは予算を削減し、金利を上げることでインフレを抑え込もうとした。
また、労働組合に対しては規制を見直して組織を骨抜きにし、給料を抑えていくというアプローチを取った。電機通信、ガス、空港、航空、水道といった国有企業の民営化や規制緩和を進め、所得税、法人税の税率を大幅に引き下げた一方、付加価値税(消費税)を8%から15%に引き上げて富裕層や企業を優遇した。その結果、金利の上昇でポンドが急騰、イギリスの製造業は苦境に陥り、従業員の解雇が相次いだ。失業率は跳ね上がり、怨嗟の声が巷にあふれた。
しかし、労働者階級に強い痛みを伴う政策を辞さなかったことで数年後にはインフレ率は低く抑えられ、経済の主役は製造業からサービス業へと移行し、経済は堅実に成長を見せるようになった。こうして強い抵抗にも屈せず信念を貫いたという意味でサッチャーは「確信の政治家」と呼ばれるようになったのである。
「超現実主義者」の一面
しかし、それはサッチャーの本当の姿なのだろうか。サッチャーの本領は、信念を貫き通しただけの「鉄の女」なのだろうか。その疑問に答えようとしたのが、昨年10月に出版された明治学院大学の池本大輔教授による『サッチャー 「鉄の女」の実像』(中公新書)である。
確かにサッチャーは政策だけでなく、政治手法そのものも「確信の政治家」らしい姿を見せている。たとえばイギリスの閣議は、第1次大戦勃発時のハーバート・ヘンリー・アスキス首相以来、各閣僚が順番に意見を表明したあと、最後に首相が取りまとめて結論に至るというのが慣習化されてきた。
ところが、サッチャーはこれを踏襲せず、事実上の副首相であるウィリアム・ホワイトロー内相に司会の役を委ね、最初に自らの立場を明らかにし、異論の述べる勇気のある閣僚がいるなら言ってみろというスタイルを取った。閣内の意見を調整するのではなく、自らが信じる方向に閣議それ自体も持って行こうとしたのであり、閣議の運営にもサッチャー色が出ている。
ただ、池本教授によると、そもそも「信念の政治家」というイメージは、前任のエドワード・ヒース保守党党首とは対照的な存在として印象づけるために自ら作り出したイメージだったのであり、いくつもの留保を付ける必要がある。
サッチャーは、問題を様々な角度から検討し、決定に至るまでは極めて慎重であった。ただし、一度決めたら絶対に揺るがなかった。政治で重要なのは行動に移すタイミングだというのが彼女のモットーだった。
また、サッチャーはあらゆる問題で譲歩を拒んだわけではない。たとえば、北アイルランド和平やエイズ対策では自らの信念に反する政策の遂行を許している。反対に「信念の政治家」というイメージが最も近かったのはヨーロッパ外交であり、自説に固執して最終的に失脚する原因となった。
サッチャー政権の政策で政治的に最も成功したのは、公営住宅の売却であったといわれている。サッチャリズムには、ネオ・リベラリズムと社会的保守主義という二面性があった。公営住宅に住む賃借人に自宅を「買う権利」を与える政策は、公的部門の縮小や財政支出削減によってネオ・リベラリズム的改革に貢献するだけでなく、持ち家所有を重視する新保守主義的な家族観から見ても望ましいものだった。
1979年の時点で、持ち家の比率は55%、民間の賃貸が15%なのに対し、公営住宅は約30%だった。サッチャーらにとって、公営住宅は国家への依存を生み出す社会主義の象徴でもあった。市民ひとりひとりが自宅や株式を所有し、自らの人生をコントロールできるような「庶民の資本主義」が理想として掲げられた。
公営住宅の払い下げは政治的には大成功を収めた。サッチャー政権の11年間に150万戸近い住宅が売却され、売却額は280万ポンドに上った。持ち家率は67%まで上昇、公営住宅の比率は22%に低下した。
その一方で、「信念の政治家」というイメージとは裏腹に、サッチャーは改革が政治的に受け入れられるかどうかを慎重に判断し、石橋を叩いて渡る政治家だった。国営企業の民営化が本格化したのは第2次政権に入ってからのことであり、その先陣を切ったのはブリティッシュ・テレコム社の株式売却だった。同社は当時世界最大規模の企業であり、イギリスの資本市場ではとても株式を捌けないのではないかと懸念された。