最近、米国の中国語紙の論評(10月26日付『多維新聞』「中国共産党の難題:止まないガバナンスの“一刀切”」)に面白い表現があった。それは「緩めれば直ぐに活き(活発になり)、活きれば直ぐに乱れ、乱れれば直ぐに統べ(統制を強化し)、統べれば直ぐに死ぬ」というもので、これに「死なないように緩めれば」という言葉を継ぎ足せば、最初とつながってしまう。終わりは来ないのだ。中国共産党のガバナンスというものの本質をうまく描いていると思う。「一刀切」とは、刀でバッサリ切ることで、複雑さや、ことの軽重と関係なく、一律に処理してしまう中国の官僚機構のやり方をよく表している。
この中国のガバナンスの特徴をつかまないと、最近の動きの本当の意味が分からなくなる。毛沢東が計画経済にこだわり、統制を強化した結果、経済は死んだ(政治とイデオロギーを強調し、文化大革命という大混乱を引き起こした)。鄧小平と江沢民が経済を「緩めた」結果、経済と社会は活性化した(1989年の天安門事件のせいで政治は引き締められ、政治の民主化は停滞した)。緩和のおかげで経済も社会も「乱れる」のだが、胡錦濤は権力の掌握が不十分で、統制を強化できなかった(政治の民主化の努力はしたが、成果は乏しかった)。党中央の政策は共産党本部のある中南海に止まったままだと批判され、厳格に実施されることはなかった。「上に政策あれば、下に対策あり」ということで、腐敗は蔓延し、社会の規律は、さらに乱れ、経済は野放図に発展した。統制が不十分で「乱」を退治できなかったのだ。
これに対する共産党としての答えが、トップ、すなわち習近平に権力を集中させるというものだった。共産党の現在の統治システムでは、それ以外の方法を想定していないからだ。習近平は大方の想定を超えて権力を集中し、集中した権力で統制を強化し、党中央の言うことを党の末端のみならず、社会全体に聞かせようとしている。さらに鄧小平、江沢民、胡錦濤が比較的軽視してきた「政治・イデオロギー」について、それまでとは逆の方向、つまり緩める方向での民主化ではなく、党の指導を強調するイデオロギーをより重視している。
「共同富裕」の真の姿はまだ見えていない
この中国のガバナンスのフェイズが、「乱」から「統」に移ったこと、および政策の重点が「経」から「政」にシフトしたことが、経済の現場において軋轢を生み、混乱を生んでいる大きな背景にある。これが国家政策次元での「大循環」なのだが、さらに、その中の個別の分野や政策においても「小循環」は起こっており、そこでも緩和と引き締めは繰り返されている。しかも「一刀切」でばっさりとやってしまう。これを短い時間に次々とやるものだから、外から見ていると大変な混乱と動揺が起こっているように見えてしまう。アリババやテンセントといったプラットフォーマーの扱い、学習塾のまさに一大整理、今回の恒大集団等の不動産市場対策などを見ていると、そう見える。……