1972年9月29日、日中国交正常化が実現した。米中が、ソ連に対する共同戦線を張るために180度の方針転換をした結果、それが可能となった。日本の外交空間は確実に拡大し、国力の増大を背景に日本のアジア外交も勢いを増した。だが、それからの日中関係は、日米共通の台湾問題をはじめ、歴史認識問題と尖閣問題により揺さぶられ続けた。
日中国交正常化は、戦争を戦った者同士の「握手」であった。あの世代の日本の指導者には大なり小なり、中国に対する「贖罪意識」はあった。毛沢東をはじめとする中国の指導者には西洋列強にアジアで唯一対抗した日本に対するそこはかとない敬意があり、特に周恩来には日本滞在経験から来る「感情」があった。80年代までの日中関係は「ウエット」な関係だったのだ。
1989年の天安門事件は、日中関係の一つの分水嶺だった。日本社会の中国に対する「感情」は薄らぎ、経済的な互恵関係を中心とする「ドライ」な関係に徐々に変わっていった。日中双方の世代交代が、これを後押しした。
ただ80年代に流入した日本の現代文化は中国を席巻し、90年代、2000年代と中国に流入し続けた。これが2010年代の後半に、中国人訪日観光客が急速に増大した大きな背景としてある。日本社会を直接目にした中国の人たちは、日本と日本人に対する認識を修正し、対日好感度は大きく改善した。……