ロシア西端の国境に接するウクライナと、ユーラシア大陸の東側に位置する日本。そんな地政学的な相似性を反映して、ウクライナではロシア連邦保安局(FSB)と米中央情報局(CIA)が対立、日本では日米対ロシアの激しい情報戦が闘われてきた。
戦後日本の情報戦で重要な戦場になったのは、舞鶴と函館の港だった。各地からの帰還者が到着した両港で、連合国軍総司令部(GHQ)参謀第2部(G2)傘下の防諜部隊(CIC)が出迎えたのは、多数の「シベリア抑留帰還者」だ。CICが行ったのは、帰国前にソ連の訓練を受けた「スパイ容疑者」をあぶり出す特殊作戦である。
1954年、突然米国に亡命することになる元ソ連国家保安委員会(KGB)工作員のユーリー・ラストボロフは、シベリア抑留者の中から日本人スパイを選抜する任務を終えた後、駐日ソ連大使館に赴任し、彼らを使って対日情報工作に従事していた。
こうした情報戦を日ソ情報戦の第1期とすれば、第2期は東西冷戦が膠着化した1970~80年代となる。この間、ロシアがメディア関係者から政治家まで幅広い情報ネットワークを築いた「レフチェンコ事件」や、ソ連が日本のハイテク技術を入手した「東芝機械事件」が表面化した。……