社会

「あさま山荘事件」の人質女性を襲った「誹謗中傷」から学ぶべき教訓

2026年5月1日


<span>「あさま山荘事件」の人質女性を襲った「誹謗中傷」から学ぶべき教訓</span>
あさま山荘(2022年撮影)

 1972年2月に起きたいわゆる「連合赤軍 あさま山荘事件」。警察当局に追われた極左過激派集団「連合赤軍」のメンバー5名が、長野県軽井沢の河合楽器保養所「浅間山荘」に逃げ込み、女性管理人を人質に取って籠城。10日間の銃撃戦の末に鎮圧され、全員が逮捕されたが、その間に警官2名と民間人1名、計3名の死者が出た。警察当局が巨大な鉄球を用いて山荘の壁を破壊、強行突入した日のテレビ中継は、各局合わせた視聴率が90%近くに上ったほど。いまなお、戦後を代表する事件のひとつとして人々の記憶に深く刻まれている。

  昨年、この事件を巡って大きな出来事があった。10日間の間、人質となった牟田泰子さんが11月13日、85歳で亡くなったのである。牟田さん夫婦は事件当時、同山荘の管理人を務めていた。夫・郁男さんが愛犬の散歩中にメンバーが館内に乱入。泰子さんが人質に取られたのである。泰子さんを巡っては、救出されて以来、半世紀以上にわたり、おびただしい数のメディアが取材に訪れたが、そのほとんどに沈黙を貫いたことでも知られる。事件直後の会見には応じた彼女だが、なぜその後、口をつぐむようになったのか。

「週刊新潮」では、事件から8年後の1980年、夫の郁男さんに取材し、その理由を詳細に報じている。以下、当時の記事を再録し、泰子さんを“苦しめたもの”の正体を探る。

※本稿は「週刊新潮」1980年2月21日号に掲載された特集を元に再構成したものです。また、年齢や肩書、年代表記等は当時のものです 

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