社会

作家たちが戦後60年で寄せた「東京大空襲」証言録

2026年5月1日


<span>作家たちが戦後60年で寄せた「東京大空襲」証言録</span>
大空襲により焦土と化した東京(1945年)

 日本本土が受けた最初の空襲は1942年4月18日だった。以後の2年間は本土空襲がなかったものの、44年にはB-29大型爆撃機による6月の北九州(八幡)、10月の沖縄に続き、11月24日からは東京への爆撃が始まる。以後、終戦までに東京都が受けた空襲の数は100回以上におよんだ。3月10日の「東京大空襲」は、東京が受けた最初の大規模空襲である。家屋が密集する東京の下町地区を目標としたB-29は、最初に50キロの焼夷弾を4カ所に投下し、発生した火災を明かりとして使いながら、小型の油脂焼夷弾を投下していった。春先の強風に煽られた炎は約27万戸の家屋を焼き尽くし、罹災者は約100万人に達した。2025年に戦後80年を迎え、戦争を直接体験した人は少なくなった。「週刊新潮」が戦後60年の2005年に掲載した東京大空襲の体験談を元に、過酷な時代を生きた先人たちの証言をお伝えする。

 ※本稿は「週刊新潮」2005年3月17日号に掲載された特集を元に再構成したものです。また、年齢や肩書は当時のものです。

静岡・沼津の山からも見えた「東京の赤い空」

 2005年3月9日、故林家三平師匠の夫人である海老名香葉子さん(71)は、台東区の上野公園内に慰霊の碑を建立した。当時、同公園には数えきれないほどの身元不明遺体が収容されていたのである。

 日本の敗戦が濃厚となった1945(昭和20)年3月10日午前零時過ぎ、グアム、サイパン、テニアンの各飛行場から飛び立った334機のB-29は、闇に紛れて低空飛行で東京湾から都内に侵入。2時間半にわたって膨大な数の焼夷弾を投下し、深川、本所、浅草など(現在の江東、墨田、台東区)、人口密集地帯の下町を完膚なきまでに焼き尽くした。

 海老名さんの実家は本所区(現在の墨田区本所)にあり、釣竿屋を営んでいたが、この空襲により、祖母と両親、2人の兄と弟の6人を一度に失った。……

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