左大臣。藤原時平や道長。右大臣。源実朝や織田信長。どっちが偉い? 普通は左大臣だろう。天子が南面すれば左は日の昇る東。右は日の沈む西。だから左が優越。他にも色々な説明の仕方があろう。日本が律令制を学んだ唐では宰相を僕ぼく射やとも呼んだ。日本でも同様。僕射とは元は弓術の教官の意。古代中国で弓術が特権的だったゆえだろう。僕射の二文字は司馬遷の『史記』にも登場する。司馬遷の仕えた前漢の武帝は匈奴と戦った。騎馬民族にして初めてユーラシアの大草原に強大な中央集権国家を作り、農耕民の漢民族を圧する勢い。司馬遷は匈奴の権力機構をこう伝える。王の下に大将や大都尉等の位があるが、それらは揃って左右一対の2人ずつで、左(東)の方が偉い。騎馬民族の常識らしい。なぜ左か。よく分からぬが、あるいは弓と関係するか。古代の騎馬民族の強さの源は馬と弓だ。弓は左手で持つのが基本。馬と兵と弓の合わせ技が騎射。その効果を最大化するのはいわゆるパルティアン・ショット。敵を欺いて馬で逃げて見せる。追っかけて来る敵を最適距離を見計らい、馬で相変わらず逃げながら、左手に弓を持ち、右手で弦を引き、思い切り左側に上半身を捩じらせて、後ろに射ち、追撃者を倒す(左利きなら左右は逆だろうが)。匈奴と同時代に古代ローマと争った、イラン北方の遊牧民国家、パルティアの騎兵の必勝戦法だからパルティアン・ショット。匈奴も同じ要領だったろう。漢民族のトラウマになったはずだ。左に身を捩じらせたら気を付けろ! それは半ば冗談としても、騎馬民族の中央集権制や左右を対にする官職作りの習慣、更に曲芸的騎射を含む馬術と弓術なくして、中国や日本の文明も政治も軍事もなかったろう。
Vol. 3
むかし関門、いまホルムズ
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